こんな場所に来るはずもないのに

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90年代前半に桜木町駅の近くで撮ったモノクロフイルムによるスナップです。このころはまだ東京急行東横線横浜駅から先、桜木町まで高架線を走っていた。その範囲の東横線が、その後、この写真を撮った数年後には、みなとみらい線になり、横浜駅から元町中華街駅まで地下を走るようになった。この高架線の下には桜木町駅近くでこのように壁の落書きが並んでいた。どこかの企業や行政が貸し出していたのか、勝手に落書きされたものだったのか判らないが。高架の線路が使われなくなったあと、ジョエル・スタンフィールドの写真集「ウォーキング・イン・ザ・ハイライン」(って名前で合っているかな?)で知ったのだが、あの写真集にまとめられているニューヨークだかの旧高架線路が散歩道になっているように、変わればいいのに、と思ったことがある。いまどうなったのか?すでに取り壊されていたっけ?それとも放置されたまま?東横線の高架に並走しているJRの線路はいまももちろん使われているから、東横線の高架線だけが廃止されたといっても大してスペースもなく使いようがないかな?わからないや。

桜木町山崎まさよしのヒット曲の歌詞に不意に固有名詞として出てくる。もう会えない恋人の面影をいつのまにか探している主人公の男。こんな場所に彼女がいるはずもないのに探してしまう心情が歌われているが、桜木町に来たときだけは、こんなところにいるはずもない、ではなく、こんなところに来るはずもない、と歌われる。きっと桜木町には二人だけの思い出があるからだろうね。

金曜は20時まで

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金曜日は20時まで開館している東京都美術館に「ハマスホイとデンマーク絵画」展を観に行く。

https://artexhibition.jp/denmark2020/

絵画展や写真展を観ると、その帰り道に、ついつい写真を撮りたくなり、ついつい撮ってしまう。そういうときに撮る写真は、その直前に見ていた絵画や写真に、ついつい安易に影響されて、偉大なる画家や写真家の眼差しがいとも簡単に、表面だけそれっぽく憑依してしまうものだろうか。ころっとそれっぽくなってる気がするなぁ。

一月は三冊しか本を読み終わらなかった。三冊目に須賀しのぶ著「革命前夜」を読んだのだが、これが二週間かもっと掛かってしまった。本が面白いとかつまらないとかではなく、読書以外の暮らしのあれこれで、読書をする時間が少なかった。読書をする時間がないほど忙しかった、という意味ではなくて、読書もできたはずなのに、ぼーっとしていたとか考えごとをしていたとか、ついつい居眠りをしていたとか、そういう感じ。

「革命前夜」と言う本は、大学生のころによく読んだ五木寛之の70年代の青春小説、いや、五木寛之のみならず60年代や70年代によく書かれていた、若い人が海外を舞台にあれこれ体験する青春小説の持っていた「感じ」「雰囲気」を思い出して懐かしくなった。

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1984年の根室、たぶん

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古いネガを見直し始めました。LEDのライトフレームの上にネガを置いて、マクロレンズをつけたデジカメで、乱暴にも手持ちで撮って、フォトショップで反転するとちゃんと写真(のように)になりました。1984年。晴海埠頭だったかな、そこからフェリーに乗って釧路へ。250ccの単車で行ったんだよな。私が250ccで写真の向かって左のN君が750ccで、向かって右のI君はもう一人のT君と自家用車。自家用車と単車のツーリング旅行だった・・・はずだが、いや違うかな。I君も単車だったかもしれない。それで釧路から根室まで移動して昼ご飯を食べたのだと思うが、ほとんどなにも覚えてないです。写真から推理しているだけで、そうそうこんな店だったなぁ、とか、なになにを食べたよなぁ、とか、なにも覚えてない。

さて、本日は朝の8:45に家を自家用車で出発して世田谷美術館まで奈良原一高写真展「スペイン約束の旅」を見に行った。わずか40分~50分で到着する。開館前に着いたのでしばらく車のなかで時間をやり過ごす。今日は雨。冷たい雨。

写真展、すごいエネルギー、写真からこちらに伝わってくるエネルギーに圧倒される。写真家は例えばスペインの祭りを撮っているが、祭りの記録(ルポ)として撮られた写真と、この奈良原さんの写真との差はどこにあるのだろう。一枚見ていただけでは分からない。手持ちで祭りの人々と一体になりながら、夢中でシャッターを切っていく、という行為は多くカメラマンだってそうやって撮っただろう。それなのに伝わってくる熱量がぜんぜん違う。すごいぞ!と思った気持ちが、すごいぞ!とそのまんま伝わってくるような。ずっと鳥肌が立っているような写真展は久しぶりだった。今日が最終日、行っておいてよかった。

写真を見直す一日

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ニセアカシア9ともう一つ、写真を選んだり作ったり(PCで修正し補正し加工し)する必要が生じた。生じたが楽しい。楽しいが、パソコン作業は目が疲れるし肩が凝るなぁ。2015年の1月分から撮った写真を全コマ見直していったら、せいぜい半年分ですっかり疲れてしまう。これは宇都宮市の動物園でプール開きを前にした子供プールの「プール開き」イベントの準備がしてある風景・・・だったかな?

午後、ご近所のEさんと会って上記「もう一つ」の打ち合わせ。

明日は世田谷美術館奈良原一高展を見に行こうかな。明日が最終日。期間中に奈良原さんが亡くなったそうです。ご冥福をお祈り申し上げます。

昨年、ロバート・フランクの展示の最中にフランクが亡くなった。そんなこともよくあることなのだろうか。

2004年か2005年頃に東京都写真美術館で奈良原さんの大規模展示があったとき、サインをしているお姿をなぜかよく覚えている。サインをしている最中でもどこかピリピリした空気が流れていたような印象だった。

それぞれのカフェ時間

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池袋の喫茶店で15時から二時間強、ニセアカシア編集会議。写真同人ニセアカシアメンバー5人による写真zineニセアカシアの8号を作ってからおよそ一年、ぼちぼち9号行きますかね、というメールでの会話が行われ、本日集合しました。遅い春には出せるだろうか?夏だろうか?

ニセアカシアのメンバーが最初に「編集会議」らしきものを宇都宮の居酒屋で行って、そのときは4人で、4人で本を作ってみようと決めたのが2010年の9月だったと思う。そこから10年で9号。のんびりしているようだけど、とにもかくにも続いているのが凄いと思います。(少なくとも私は)ほかの3名の方の作品を見て、自分は撮れないと思うし、素晴らしいな、と思える。ずっと。

編集会議のあともつ鍋屋で新年会。

散歩者の憂鬱

f:id:misaki-taku:20200113164747j:plain昼過ぎに自転車に乗って出かける。目的地があるわけではないが、目的はあって、どこか静かな場所で珈琲を飲みながら読書をしたいということだ。それで結局はいつもの通り、まず茅ケ崎海岸まで行ってみる。暖かい春のような快晴の日。小さな子供を連れた家族連れが遊んでいる。サーファーも海にぷかぷか浮かんでいる。小学生の女の子たちが波打ち際で足首まで海水に浸りながら波に合わせて行ったり来たりしている。大きな犬を連れた人が小さな犬を二匹連れた人と話してる。防波堤に座ってスマートフォンをいじったり読書をしている人がちらほら。その「ちら」だか「ほら」だかになり、読みかけの本を小一時間読む。日の光にずっと当たっていると唇の皮がむけてきそうだから、それが心配になり、海を見ながらの読書はそこまでにする。それで1時半ころかな。

茅ケ崎市が管理しているらしい氷室椿庭園に行ってみる。年末に伊豆高原小室山の椿公園に行ったときと同様、花をつけている木は少ない。しかし葉に日が反射して椿園の散歩道はとても明るいのだった。そして誰もいない。ヒヨドリシジュウカラが鳴きかわしているだけだった。

海沿いの国道134号線と並行に少し内側に通っている通称「鉄砲通り」と呼ばれる市道(?)と茅ヶ崎駅からまっすぐ海に向かう通称「雄三通り」の交差点から少しだけ東へ行ったあたりの喫茶店に立ち寄り、また続きを読み進む。読んでいるのは、新刊で出たとき、何年前だろう、そのときには読んでいなかった村上春樹の「色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年」です。

そのカフェでは店主と常連客のほかは私だけ。あまりものが置かれていないストイックな空間。小さな音量で環境音楽風のピアノ曲が流れている。常連客と店主が仙台の話をしている。仙台、久しく行っていない。五年くらいまえに宇都宮に単身赴任していたころ、青春18切符で宇都宮から鈍行でひとり、仙台に行き、こんなに移動時間が掛かるのか!と驚いたことがあった。それで牡蠣小屋みたいなところで昼に牡蠣をたくさん食べて、夜には牛タンを食べて、ジャズ喫茶カウントに寄った。牡蠣と牛タンのあいだに雪が降ってくるなか、なんだかビルの二階か三階にある暗い喫茶店に行ったような気がするな。翌朝はきっとレトロ喫茶でモーニングを食べたのだろう、覚えてないけど。そして「火星」という単語が店名に入っている古書店に行ったんだっけ?

古書店・・・このブログを書き始めたのが十年くらい前かもしれない。もっとかな。そのころもいまも、こうして茅ケ崎市内を散歩して、たいていは海へ行き、古書店を回って、喫茶店に寄っていたのだろう。その古書店が、ブックオフを除いて、駅の周りだけでも四軒も五軒もあった。いまはほとんど無くなった。例えば田中小実昌著「港みなと」(みなとみなと?)は駅の南口側のM書店で偶然見つけて買ったと思う。M書店は入って右の奥の棚が面白かった。古書店がおおむね無くなったので、自転車でも徒歩でも散歩のときは、海へ行って珈琲を飲むだけになって古書店トロールが無くなった。散歩中の被写体も、よく撮っていたちょと古めの建物、すなわち私にとっては懐かしさを誘われる昭和50年代前後の住宅とかですが、これもおおむね建て替えられた感じ。十年前にはたくさんあったから家は30~40年で建て替えられるのが「平均」なのかな、と計算してみたり。

こう書いていると、だんだんと散歩を受け入れてくれる町と親しくなれる部分が、どんどんなくなっている。生まれ変わっていく町が「なつかしさ」から遠ざかるのは当たり前のことだろう。

カフェで食べた焼き林檎は注文してから焼くので時間が掛かる。店主は長野県産の林檎です、と言い添えて出来上がったそれをテーブルに置いた。それで川鍋祥子さんの写真集「そのにて」の林檎畑の写真を思い出したりしました。

なにかをきっかけになにかを思い出したり考えたりする。あ、当たり前だった。

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