飛行機が飛んで行く夕方

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朝6:30に会社に着いたので、15:00には所定労働時間を終えるのだが、もう一時間ほど仕事をしてから帰ってきた。日が長い。今朝のFM横浜でラジオ・パーソナリティのなんとかさんが、ここのところずっと日の出の時間が変わらなくて4時何分かだと言っていた。27とか29とかだったかな。夏至の前に日の出はちょっと遅くなり、夏至の少し先まで日の入りは遅いまままだ早くならない、のかな?日の入りは遅い方がいいな、ずっと明るい方が断然好きだ。なんか得した気分になる。まだ明るくて、だからまだ遊んでいてもいいんだな、って子供の頃の刷り込みが原因なのかな。

17:30頃からウォーキングをする。上空を飛行機が飛んで行く。微妙にコースが違う。高さも違う。一緒に飛んでくるわけではなく、一機が来て、数分してまた別のが来て、十数分してちょっと南をさらに違う一機が、と言う感じ。上空の通過する位置こそ違うけれど、概ね北西へ向かっていく、でもどこへ行くのかわからない。米軍厚木飛行場の方向でもない。いずれも大きな輸送機。主翼の両側にプロペラを二基づつ抱えているような。アナログLPがCDになったり、フイルムカメラがデジタルカメラになったりするように、プロペラの飛行機は全部ジェット機になっているのかと思いきや、そうでもないですね。セスナみたいなのもプロペラだし。製造コストとか燃料費とか速度とか高さとか飛行距離とかいろんな面でプロペラが必要なケースがあって、住み分けているのかしら。飛行機のことはなにも知らないから、平気でこんなことを書いているけれど、ちょっと詳しい人が読むと「あきれる」ほど無知なんだろうな。

今日の夕方は空気が湿っている。これをガスっているとも言うのだろうが、いかにも水の小さな粒子が空気中にあって日が当たって空間を白く輝かせているように見える。

背の高い青年が一人でスケートボードを練習している。畑のビニールハウスのなかには緑色のトマトの実がたくさん見える。ムクドリが畑の乾いた土をつついている。大きな黒い犬を連れた老夫婦が、別の大きな黒い犬を連れた老夫婦に、やぁやぁと言いながら話しかけている。その横をすり抜けて一層速足で歩いてみる。その声が聞こえたとき、セキレイの声は意外に大きいと思った。

聖路加国際病院(かな)

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一つ前のこのブログ記事に尾山台にあったと思われるマーケットの写真を載せた。今日6/2はふた月ぶりくらいでJRに乗って北関東某市まで鉄道で移動(出張)した。片道200kmの自家用車の運転よりずっと楽で、自家用車よりずっとコロナ感染リスクが高い。新幹線はがらがらだった。特に帰路はひとつの号車に五人くらいしか乗っていなかった。ただ乗換駅の人の数はとても多い。今日は夜になり東京アラートなるものが出たらしい。コロナ感染者数は東京都はあらたに34人と数人~十数人で推移していたここ一週間か二週間と比べると途端に多くなった。電車での移動中にスマートフォンで調べたのだが、尾山台の駅前にはいまも八百屋や肉屋が入っているマーケットがあるらしい。でも画像検索で調べたら前回のブログに載せた建物ではなくてもっと新しい建物のようだった。そこでいまの建物の建築年を調べてみたら1992年とあった。写真を撮ったのはたぶん1988年頃なので、その後尾山台駅前のマーケットは建替えられたのだろう。同じ八百屋さんがそのまんま新しい建物になっても店を続けているのだろうか。1992年からすでに28年か・・・

同じく1988年頃かもう少し前に撮ったと思われる写真が上の写真。どんよりとした曇りか雨かもしれない日。手前に川があり、街並みが遠望できる。街並みを見ているうちに、この建物、中央から少し右にある建物はこれも建替えられていまはもうなくなった聖路加国際病院らしいことに気が付いた。

新しい聖路加タワーも同じかもしれませんが、病院のなかに教会があった、と思う。そこで行われる看護婦さんの戴冠式の様子をテレビで見て、見学(というか勝手に病院内に入ったのだが)に行ったのだった。そんな気がする程度のあやふやな記憶ですが。

 

果物の店

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1980年代の後半に撮ったらしい写真。どこだかわからない。撮ったことも覚えていない。ただ、むかし撮ったスライド写真をデジタルカメラで接写していた、その中にあった写真です。どこだろう?果物が店一杯にびっしり置かれている感じがする。左側には別のなにかの店が写っているようだ。駅前マーケットのような場所だろうか。などと思いながら写真を眺めていたのだが、よく見るとこの次の駒に、この店の手前の道路にかかっている商店街のアーチのようなものが写っていて、よく見ると「尾山台」と書いてあるようだった。この頃は、田園都市線の藤が丘を最寄り駅とするマンションに住んでいた。会社は都立大学駅から徒歩数分のところにあったから、藤が丘から田園都市線二子玉川園に、二子玉川園から大井町線で自由が丘へ、自由が丘から東横線都立大学へと通っていた。尾山台大井町線の途中駅だったが、なんでその駅で降りたのかまったくわからない。

会社員になってもう四十年になるが、そのうち二十五年くらいは電車を使って通勤していた。勤務事業所が変わり、引っ越しもして、そのたびに使う経路や路線は変わったけれど、たくさん電車に乗ったものだ。この写真の頃はと言えば、改札には駅員が立って、切符に挟を入れたりしていた。

それだけたくさん通勤で電車に乗って来たが、乗り過ごしたことは一度だけだと思います。たしか休日に出勤するために大井町線二子玉川園から乗って、本を読むのに夢中になり、自由が丘を過ぎてしまったのだった。あのとき何の物語に没頭していたのかはわからないが、いまとなると、本に夢中になって乗り過ごすなんていうのも、笑い話というのかほほえましい感じもするな。

あの頃読んでいたのは池波正太郎の本が多かったから、きっと鬼平犯科帳の捕り物場面などに夢中になり乗り過ごしたのではないか。

 

ひこうき雲

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久しぶりに自転車に乗ってみる。12キロ程度をふらふらと走って来る。途中、写真を撮りたい場所を見つけると、自転車を降りて、写真を撮る。ときには相模川河川敷のブッシュの中に作られている人一人が通れるくらいの細く長い散歩道を歩いたりもする。誰もあるいていないその散歩道沿いにはオニグルミやニセアカシアやエノキの木の下に続いている。かと思うともっと明るい夏草の原っぱの中へと。鳥の声に耳を澄ます。立ち止まって耳を澄ませてじっとしていると、鳥の方も人がじっとしてしまうと安心するのか、いっそうたくさん綺麗な声を聞くことが出来ました。

ニュー・ノーマルな暮らしとか社会とかって、行政のトップの方々が盛んに言うが、言いつつだれも具体的になにがそれを指すのかは不明なままなのではないか。具体的な目標がないと、流れのまま、庶民がこのあたりはまぁ新しい標準として定着できましたね、と言う、結果が全てであり、積極的な改変にはならないだろうな。せいぜいマスクをして手を洗って消毒をして、レジカウンターには透明シートが貼られる。店の席数を制限して減らしているところもあるが、経営を成り立たせるためにはそれだっていつまでもそんな余裕はないだろう。ニュー・ノーマルってそういうことを指すの?

Jリーグとかダゾンに入ればどの試合も月額数千円で見ることが出来てしまうが、それはスタジアムに一万~数万人の観客がチケットを購入して観に来るという収入があることが前提なのだろう。いまとなっては試合ごと、スタジアムに行くチケット代の三分の一くらいの値段で有料配信にして、スタジアムの席数は二つ飛ばしにしか売らない、とかにしたらどうなの?とか思っちゃいますね。どうなんでしょうね?その代わりに試合のライブストリーミングの会員になるとVR眼鏡のアプリがダウンロード出来て、好きな視点で試合を観戦できるとかになればいい。こんなのはたぶんコロナがなくても目指されていた一つの方向なのではないか。だとするとニュー・ノーマルの多くは、結局のところ、コロナがなくても「スマート化」された時代にやろうとしていたことと親和性が高く、すなわち「前倒し」が要請され、そこに商機があり、開発が加速するってことかもしれない。それはそれでいいのだろう。遠隔地治療も自動運転も無人宅配もネットショッピングも、たしかに人と人の対面接触という点では、それを減らせる方向に向いている。

すなわち人類はコロナがなくても、人と人の接触が減る方向に向かうことを新しい社会の基盤にもともとしようとしていたのではないか、と言うことに気が付く。ズームでもいいじゃん、スカイプでも出来るじゃん、て思います。目の前でこなすべきことに対しては。

でもね、本当にそうなのかな、とも思う。短期的に、いままでの暮らしや社会を知っている大人がそういう新しい社会に溶け込むのはむしろ懸念は少ないかもしれない。動物としてあるべき形で、生まれたときから人と人の接触というか交流というか、よくも悪くも人間関係のなかで成長してきたから。でも生まれたときからそういう社会や暮らしひてきた人の世界ってどうなるのか?まぁその世代にはその世代の価値観や標準が出来るから心配する必要はないのかもしれない。

帰宅後、ころもがえをしました。大量のTシャツを出してきて、セーターやヒートテックの衣類をしまう。Tシャツもセーターもかなり思い切って捨てることにしたが、それにしても持っているTシャツは多いな。それもあまり着ないのに持っていたいのもある。ロックバンドのTシャツとかUTなどで出るたびに、あるいはツアーで、好きなバンドだと買ってしまって来た。U2とかビートルズとかビーチボーイズとかジャクソン・ブラウンとか。あまり着ないけれど捨てられない。

河川敷を散歩していてたまにすれ違う人がいて、その人の聴いている音楽がイヤホンから音漏れしていた。ユーミンひこうき雲だった。

 

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五月も、もうすぐ終わる

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季節が夏に向かっているあいだは、と言うより夏至に向かっているあいだは、かな、なんとなくイメージとして「右肩上がり」の感じがする。自然も気分も。とくに五月は、植物の生長に起因して人が見える風景の変化もすさまじく、だから春なんて嫌いだと詩にかかれたりするくらい、眩しい。

昼休みは一時間あって、そのうち前半の20分くらいは昼を食べるので、そのあとに散歩に出る。会社のある工業団地を取り囲むように、この写真のような自然豊かな公園が取り巻いている。数日を経て同じコースを歩くと、その数日で木々の葉の成長も、その下に咲く野の花も、変わっていく。新型コロナウイルス感染防止対策の緊急事態宣言が始まってから今までおよそふた月くらいだろうか。そのふた月のあいだにこうして自然はいつも通りに激しく生を進めていて、その変化に目がくらむときに、なんと時間は早く流れることだろう、と思う。でも、同じ期間でも例えばコロナ感染のリスクが減少せずにイライラすると、時間が淀んでいてゆっくりとしか流れていないとも思う。ときどき思うのだが、ある所定の流れた時間を切り出したときに、そういうふうに「早く流れると感じること」と「淀んでいると感じること」は必ずセットにあって、相対的にその両方があることが必要なのではないだろうか。

東北自動車道を走っているときに、疲れを感じると、その次にやってくるSAやPAに停車する。あるときHパーキングエリアに停める。鯛焼きの店があって「お好み焼鯛焼き」と言うのを売っていた。ひとつ買って、車に戻り、運転席に座って食べる。美味しいが、それが鯛焼きの皮とお好み焼きが調和して美味しいのか、それともどんなところに挟まれよう、がお好み焼きというものはお好み焼きとして安定的に美味しいのか判らない、と思ったりする。東北自動車道を北関東から都心に向かうとき、このPAの近くには大きな川を渡る高速道路の橋がある。オープンな橋ではなく、自家用車の頭の上に橋の鉄骨がクロスしている、トラスト構造って言うのだっけかな。あの橋を渡るのが好きです。長い路程のなかで、ランドマークではないが、途中途中の道標のような感じがする。路程の真ん中あたりではないが、ついにここまで来た、だったり、まずはここまで来た、だったり、方向によっては違うけれど、いずれこの橋を渡ることは「いい」感じがする。

 

月齢2.4

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月齢2の月は「繊月」と言うそうです。何十年も会社との行き来は電車や社バスや徒歩や自転車の組み合わせで、自家用車で会社に行くことなどなかったのだが、この新型コロナウイルス感染症蔓延防止のための緊急事態宣言以降、満員電車を避けるために、自家用車ばかりになった。都内に行くときも、北関東の事業所に行くときも。週に平均およそ600kmも運転していると疲れがだんだんと溜まってくるものです。今日は都内から自宅まで往路は早朝、およそ1時間だったが、復路は渋滞の時間になってしまい1時間と40分くらい掛かってしまう。もうあと20日ちょっとで夏至ですか・・・。そりゃぁ日が暮れるのが遅くなったわけだ、午後七時を過ぎていてもまだ空は青い。そこに細い月が見えたので帰宅して、手洗いとうがいをし、着替えはまだしないまま、カメラに望遠ズームを付けて外に出て写真を撮りました。あとでネットで調べたら、今日の月齢は2.4とあった。

テレビを見る。引退のまえのワールドツアー中のロックバンドkissのジーン・シモンズを取材した二時間の番組と、埼玉県のウイスキー醸造所の起死回生の物語。

70年代80年代、それ以降も、Kissなんか聴いたことがなかったな。