横浜を散歩する


 横浜野毛のあたりを散歩する。そのまま関内駅まで歩き、電車でひと駅、石川町へ。元町商店街を歩いて、地下鉄の元町中華街駅から横浜駅へ。横浜駅まわりで買い物をしてから帰る。よく晴れた気持ちのよい一日。午前中は風が強かったがそのうちにおさまった。
 野毛を昼間歩いても、閑散とした感じで、まだ開店前の焼き鳥屋やらスナックやらバーやらを日が照らす。こういう店の壁面の凹凸や、エアコン装置からつながっているのか何やら壁面を這い回っている配管や、エアコン室外機の上に置かれている鉢植えの植物や、電線の影や、電信柱に貼られている演歌歌手が写っている何かの(何かの宣伝なのかその歌手のコンサートの案内なのか?)ポスターやらがずーっと歩いている目の前に繰り返し現れる。
 センターグリルという洋食屋さんがある。人通りも少ないなかで、一体お客さんはいるのかしら?と思いながら、あるいは美味しいだろうか?と疑いながら、恐る恐る入ってみる。入ると一階席は誰もおらず、二階へどうぞと言われて細い急な階段を上る。一階に誰もいないのに二階に通されるというのはますます不安。しかも二階へ上る階段の横の壁にはシマウマの皮が飾ってある。虎ならば、あるいはもしかして熊くらいなら、それほどの驚きではないが、シマウマというのも変だ。ということでちょっとどきどきして階段を上がったわけだが、いざ二階についていると、店は混んでいる。家族連れ、おばちゃん二人連れ、カップル。様々な客が四人席にそれぞれ座って楽しげに大きな声だったり、あるいは親しげに密やかに、話している。外の通りが閑散としていたことから、歩いている人は全員この店を目指しているのではないかと思うくらい、ここだけがにぎやかなのだった。
 家族のMはスパゲッティナポリタンを頼み、思い描いたとおりのむかしながらの「にっぽんの」ナポリタンが出てくる。わたしは浜ランチというのを頼む。「浜」つながりでともだちのHくんから今朝来たメールを思い出す。いろいろと彼も大変そうだが、悲観論者的口調にウィットが滲んでいて彼らしかった。浜ランチはオムライスとチキンカツとサラダが一枚のそっけない金属製の楕円形の平たい皿にどんと載っている。皿から落とさないように最初は慎重に、オムライスから食べ始める。
 センターグリルを出てから、大岡川を渡り関内まで歩く。大通りに面したギャラリーやらブティックやら、きれいに改装されているが、実は大きな雑居ビルで築年数もかなり経っている様子のところが多い。裏に回ると、そう言う雑居ビルはこの写真みたいで、なんだかパリの裏通りみたいだなんて安易に思ってしまう。裏通り側にもジャズの店があったり。ふらりと入ったギャラリーでは、布絵の展示。ご年配のご婦人が趣味で作った布絵を展示されている。オレンジ色の布で描かれたほおずきがきれいだった。

 本日のカメラEOS1N+EF28/1.8

 昨日Tくんと写真についてメールのやりとり。わたしが「手垢の付いた」「既存の」写真ではなく、新たな価値感を新たな表現で示すことが出来る写真家の作品こそ注目したいと言う。Tくんは、自己のアイデンティティを表現しても鑑賞者が付いてこないときにどうするか?その一致がなければいけないのか?と返信してくる。私は、そこが最大の悩みであるだろうと答えたあとに、人類の進化の先を目指すものならおのずと一致するのではないか、などという優等生的答えというか、議論を終わらすための方便みたいなことを書いてしまった。それを、横浜を歩きながら思い出して、憂鬱になったりもする。