変わる町


 写真は古いパソコンの中の、乱雑に様々なものが詰め込まれた引き出しのようになっている自分の名前のフォルダーから拾ってきた、1995年ころの蒲田駅前の写真。

 1月2日、昼過ぎに平塚市にある実家に顔を出す予定があり、時間に余裕があったので、駅北口の紅谷町商店街や一号線沿いの商店街あたりを歩いてみた。正月二日目は駅ビルラスカなどの大型店舗やチェーンのファストフード店などは開店しているものの、個人商店はまだほとんど店を開けていない。シャッターが降りた商店街を強風が吹きぬけて行き、黒いスーツを着ていくことが必要な新年会帰りらしい五人くらいの若者たちが前かがみになって歩いて行く。人通りは、もちろん、少ない。シャッターを降ろした店が正月休みが開けると開店するのか、すでに店仕舞いした空き店舗なのかはわからない。空き店舗かもしれない、などと思うのは、地方都市のほとんどどこでもそうだから、そうなのかなと思ってしまう。
 この散歩したあたりは、私が通っていた宗善小学校や江陽中学校の学区だから、個人商店の息子や娘には同級生が何人もいたのだ。いま歩くと、K洋服店も、K牛乳店も、なくなっていて、たぶんここだと思うところにはマンションなんかが建っている。おでんの具なんかを売っているN商店は健在。K米店やK和菓子屋やIガラス店はぶらついた範囲の外だからわからない。I眼鏡やM洋装やM鮮魚店の子供も同級生だったけど店があるのかないのか、わからなかった。ピーナッツ店Hの子もいた、たぶんピーナッツ屋は健在だろう。こう書いているとどんどん思い出してきて、I理髪店や、もう一つの魚屋のY。写真屋のNや皮膚科の個人医院のNの子供たちも同級生だった。
 彼らがいまも平塚市に住んでいるのかは判らないが、大規模店舗進出で個人商店が困難に見舞われるという一般的に刷り込まれている情報から考えると、時代の流れのなかで同級生だった彼らにとって不本意な変化が起きて、全体傾向として彼らの人生が「大変」で、その方向が「マイナス」「下向き」だったのではないか?とか悲観的に考えてしまいがちだが、実際には世の中はいつだって常に変化していて、もしそんなことを言っていたらいつのまにか世の中には不幸な人で満ち満ちてしまう訳だから、もちろんそんなことはありえない。だから、みんな元気にやっているに違いないのだ。
 私は同窓会にも顔を出さないし、明るく騒いで飲むなんてのは苦手だし、ずっと会ってない人と旧交を温めるなんてのも億劫だから、もう小学校や中学校の同窓生とは誰も付き合いがないのだが、それでも平塚の町を歩くと誰かに会うかもしれないとちょっとだけ思って、そういう偶然が起きると良いような嫌なような、変な気持ちになる。

 でもって、蒲田のこの古本屋も、たぶんいまはもうない。ここでは2000年くらいに篠山紀信水沢アキを撮った写真集を古本で買ったことがあった。その写真集には、1978年くらいに雑誌GOROに載って、そのときにえらく衝撃を受けた写真も収録されていてだから懐かしくて買ったのだが、2013年のいまこの写真を見ると、そういう風に懐かしさに駆られて古本の写真集を買ったその店が、奥に行くほど通路が細くなっていて人とすれ違うことすら出来ない作りだったことなんかもすでにもう懐かしさに包まれている。