とんぼとのりしろ


 がん検診を受けるために休暇取得。胃カメラ、結果は大問題なし。

 上野の東京都美術館に寄り道をしてから帰る。ボストン美術館展と杉戸洋「とんぼとのりしろ」
http://www.tobikan.jp/exhibition/2017_hiroshisugito.html
どちらかというと後者が目的で。場所を作品に包含する展示。少しとろけたポップ。はじけた不明瞭。転がった夢の断片。シャイなかくれんぼ。
 何年か前に函館のCDが置いてあるいい感じのカフェで買ったアメリカン・アナログ・セットの音楽を思い出しました。
 前者ではエドワード・ホッパーの版画が印象に残りました。



 杉戸洋「とんぼとのりしろ」展の図録は表紙の緑が美しい色。なにかの色をきれいだと感じるのは、自分の嗜好やそのときの心の状態(気分?)によるところが多いのだろうけれど、そのまた背景には季節も関係しているに違いないと思った。
 竹内まりや(まりあ?)の9月を歌った曲の歌詞で、辛子色のシャツ、から始まる曲があったような。夏にはあまり選ばれなかった服の色として、秋の始まりの色として、この曲では辛子色が選ばれているってことか。
 展覧会の図録の目的の主だったところが展覧会の「記録」的なことで、例えば鑑賞に来た人が後日にその展覧会を思い出すための道標になることだったり、すなわち会議(展覧会)そのものではなくその議事録(図録)ということだとすると、この杉戸洋展の図録はそれだけにとどまっていない。
 展覧会を作っていく過程の作家の思いのようなことも含まれている。もちろん展示が例えばとある「絵画」ではなくて、絵画をそこに提示する額や壁や隣の絵との間隔や照明や、そういう空間を見せているから、図録もそこまでを含んだ空間の写真を並べた方が「絵画」だけを示すよりもずっと理にかなっている。だからそうなっているが、その中には、例えば上の下の写真の右ページのようなスナップ写真が含まれているのが面白い。図録の後半に各ページの説明があるのだが、こういうページの説明はただsnapとなっているのだった。すると展覧会が展覧会の会期中だけではなくその準備のときから始まっていることが伝わってくる。
 まぁこんなのは私が写真が好きだと言うことから出てきた感想かもしれない。図録というより写真集で、それ自体作品として展覧会に並走して成立している。

 そのあとアメ横あたりを散歩して、とんかつを食べてきました。雨横は店の外までテーブルと椅子を並べた居酒屋や、ラーメンや、アジアン料理の店が増えてる気がする。そこがまだ夕方にはちょっと間のある時間なのに随分賑わっている。また新しい活気を見出したかのようだった。
 なんかそういうテーブルで話している年配のサラリーマンのグループが昭和っぽくていい。

セット・フリー

セット・フリー