更に写真についてなど


 午後2時過ぎ、近所の散歩に出る。最初は漁港まで歩こうと思っていたが、住宅の合間に鶴嶺の大銀杏が黄色く色づいているのが見えたので漁港は取りやめにして銀杏を見に行く。いくら暖かい南関東とはいえ、ほかの、例えば街路樹の銀杏などはみな散ってしまったが、鶴嶺神社のこの銀杏だけは、たしかに既にだいぶ葉が落ちたとは言えまだまだ裸木ではない。何度も見ているのに、なかなかこの幹の太さになじめず、行くたびにその太さに圧倒されてしまう。説明文によれば何本かの木が寄り集まって長年のあいだに合体してしまっているらしい。

 さて12/10のブログに書いた写真に関する「?」だらけの文章に関して最近ハンドルネームを変更した林林(はやしはやし)さんからブログへの引用可のメールで次のようなご意見をいただいたのでまずは転記(全文引用)しておきます。

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『「写真は『窓』か『鏡』か?」という人間中心な考え方の枠組みは一旦わきに退けておくことにして、ここはひとつ写真なるものを、スタニスワフ・レムソラリス』(国書刊行会)で描かれた「ソラリスの海」のような、ヒトとは全く異質な形態や特質をもった、それゆえに人知に及ばぬ行動や思考を為す「お客さん」として割り切って考えてみてはどうでしょうか。

ホフマンスタールが「チャンドス卿の手紙」(岩波文庫・表題作)で指摘した、人間がかたちづくった言語の構造とは異質な「物言わぬ事物が語りかけてくる言葉」、それが写真の用いる表現手段なのではないでしょうか。こう要約してみると、戦後日本の中平某氏が展開した写真論とも二重写しに思われてきますが、「チャンドス卿…」が著されたのは今から百年ほど昔の1902年。

ここで影響・模倣・引用などと、商業利権をとやかくする特許論争じみた詮索をしてみても詮無きこと。ボルヘス「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」(岩波文庫・『伝奇集』所収)で提言された、「故意のアナクロニズムと作者の曖昧な想定にもとづく」読書法に倣って、著者のすり替えを行ってその本質を自家薬籠中の考えに資するのが良いのではないか、またそうした特殊な個性と普遍とが入り交じる行合の場として私なるものが存在すると考えてみれば、自己表現と称するところの行為にまつわる不分明さも自ずと解きほぐれてくるのではないかでしょうか。
(この特殊と普遍という通常なら相対するものと考えられている要素の混交というテーマが、またそれがなされる場としての私≒図書館というモチーフが、岬さんの抱かれるところのボルヘス作品全般に通じる「広がり」の感覚の正体かもしれません)

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 林林さん、難し過ぎます!(笑)。ソラリスを引かれての割り切りの提案について、「チャンドス卿の手紙」は未読ですが林林さんが書かれた言語の構造とは異質ということ、は、その通りと膝を打つという感ではないものの、そういう考え方もあるだろうとは思います。が、どちらかと言うと折り合いをつけるための方便って感じもしないでもないけど。
 さて伝奇集は最近再読しましたが、挙げられている「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」は精読できず読み飛ばし気味にやっつけてしまった感があります。よって、自ずと解きほぐれてくるというご指摘に答えられる状況になく不勉強を後悔しておりますが、二つ並べられた記載をもって「差」を謳うとしながら何度目をこらしても二つの記載は全く同一であって、そのところには驚いたものです。林林さんの言う「著者のすり替えを行ってその本質を自家薬籠中の考えに資するのが良いのではないか、またそうした特殊な個性と普遍とが入り交じる行合の場として私なるものが存在すると考えてみれば、自己表現と称するところの行為にまつわる不分明さも自ずと解きほぐれてくるのではないかでしょうか」の部分、別の切り口から判り易くもう一度ご説明願いたいところです。書き込んでいただいてもよいですし、あるいは、今度お会いしたときにでもお話しましょう。



 さていつもの調子へ戻す。
 12/12のブログにYTくんからのメールの話を書いたが、そのメールにYTくんが
「自分の記憶を呼び覚ます何かがあり、そのことが感情の琴線に触れた」
と書いている。
 私は、ここのところの読書はボルヘスの「伝奇集」を再読して、ムーミンの・・・?じゃないや・・・ヤンソンの「ムーミン谷の彗星」を読んだ。この二冊を読んだのは「てっぽう」展のときの飲み会で林林さんやCTさんや寿さんとの会話のなかで、そんな話が出たからだろう。そのあと、買ったまま読んでない本を順に読もうと思って安岡章太郎著「私説聊斎志異」というのを読み始めた。この中に太宰治の「清貧譚」の冒頭が引用されていて、そこには太宰が「聊斎志異」について書いている。
「以下に記すのは、かの聊斎志異の中の一篇である。原文は、千八百三十四字、之を私たちの普通用いている四百字詰の原稿用紙に書き写しても、わづか四枚半ぐらいの、極く短い小片にすぎないのであるが、読んでいるうちに様々の空想が湧いて出て、優に三十枚前後の好短篇を読了した時と同じくらいの満酌の感を覚えるのである。」
と太宰が書いているそうだ。
 太宰は短い小説であってもそこから「様々な空想が湧く」ということに価値を認めている。空想が湧くということと、YTくんの言う「記憶を呼び覚ます」ということは違うようでいて近いと思う。人が何かを空想できるのは、その人の記憶が関係しているに違いないと思う。

 以下はYTくんへの私の返信(若干添削)
********ここから********
『この前いただいたメールへの返信です。YTくんが書いた『自分は何に感動したかといえば、わかったわけではなく、自分の記憶を呼び覚ます何かがあり、そのことが感情の琴線に触れたのです。』の部分についてです。私も同様な写真の価値をよく感じています。写真家だって一人の人間で今ある一人の人間を形成した価値観や人柄やらは、生まれながらの性質が底流にあったにしても、結局は生きてきた時間に何を経験してきたか、それが積層されて、多くは無意識ではあっても自己を作っている。即ち思い出せないことも思い出せることも含め、記憶こそが自己の源だと思うのです。したがって、写真を見ることは他人、即ちこの場合は写真家の記憶に根差した自己を、わかりやすく言えば自己に根差した価値を見せられていて、だから写真家の感覚が面白いと感じたその手の写真の持つ力は、新しいもの、他にはないものがあってこそ自己でしょう。でその手の自己の価値、即ち記憶の積み重ねの結果の価値に反応するということは、鑑賞者という別の個の価値観が揺すられる、即ち見る方の記憶が揺すられるということにほかならないと思うに至りました。写真家の記憶に根差した自己が写真に投影され、その写真を見た人が揺すられるということは、まさしく記憶を揺すられるということでしょう』
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 写真家は、というか人は、記憶(ここで言う記憶とは意識して思い出せる思い出という範疇でなくて無意識の中にも形成されているであろうことも含めた感じ)が蓄積されているからこそ人であり、それが発露したのが写真であり、鑑賞者も人であるから記憶が蓄積されていて、だから力のある写真を見ることによって記憶のどこかが刺激されている。Aという写真家のBという記憶が、Cという鑑賞者のDという記憶を喚起する、ようなこと。即ち「記憶の転写」作用が写真に限らず、文学や絵や音楽の持つエンタテイメントとは異なる意義なのではないか。

 はてさて、ここ三日間、ずっと読んで頂くのが心苦しいほどのわけのわからない写真への考察(思索というほどのものでもない)を書き連ねてみた。ひとまずこのテーマは終了・・・するのかなあ?