歩け歩け太陽の道を


 今朝もまたカメラを持って散歩に出る。近所の畑を歩こうと思ったのだが、バス停のところを通ったらちょうど茅ヶ崎駅行きのバスが来て、待っていた四、五人の人が順に乗り込んでいく。ちょうど買ったばかりのバスカードもあるし、それならそれで駅基点に歩いてみようかとバスに乗る。バスの中で散歩コースを考える。天気も良いし風もないから、長い距離を歩いてみようと思う。相模線に乗って寒川あたりに行き、用田の方まで歩きつつ、道沿いにあるラーメン店とか中古車屋とかが並ぶ、なんというのかな埃っぽくて素っ気無い風景を撮ろうか。それとも、東海道線の隣の駅、辻堂まで行ってから藤沢まで、途中で長久保公園でも寄りつつ歩こうか。
 バスはすぐに駅に着く。スイカで改札を通り抜け、のぼり東京行きに載る。辻堂で降りるのを逡巡し、藤沢まで行く。そのころには藤沢から小田急線の線路にまとわりつくように住宅街の細い道を辿りつつ鵠沼海岸の商店街まで歩いてみることに決めていた。
 住宅地の中を歩いていると、築年数が相当経っていそうな瓦の三角屋根の平屋や、木造アパートに出くわす。一方では、新しいなんだか地中海に面した町にありそうな家が並んでいたりもする。EOS1-Nのシャッター音が場違いに響くほどに住宅街はひっそりとしている。コンデジのシャッター音を「無音」にして静かに撮ることになる。ひっそりとしているからといって誰も見かけないというわけではなく、窓のサッシを雑巾で拭いている人、自家用車の塗装が剥げたところを塗ろうとしている人、ふとんを干している人、庭木の手入れをしている人、みな一人でそんなことをやっている。カメラを持って歩いているという行為がふとあほらしく思えたりする。こうして家や車なんかをちょこちょこと手入れしていることこそ正しい休日(年末)に違いないと思う。
 だんだん人が増えてきたと思うと駅に近い。銀行や郵便局は列になっているし、八百屋や果物やも活気がある。子供が路地で遊んでいる。なかにはTシャツ一枚の子供もいる。それを見たからというわけでもないが、やがて鵠沼の海に出て、しばらく歩いているうちに汗ばんでいることに気付き、着ていたダウンジャンパーを脱いだ。
 鵠沼海岸から小田急で藤沢に戻り、また東海道線茅ヶ崎に戻る、ということも考えないではなかったが、このさいだからずーっと歩いてみよう。海沿いのサイクリング道路を西へと歩く。サーファーにとってはいい波が来ているらしく大勢の人が海に入っている。彼等の多くは自転車に乗って海に来ているから、波が立つあたりの砂浜にはさび付いたサーファー用の、サイドにサーフボードを乗せることのできる自転車が、たくさん停めてある。
 津波のときの避難場所を航空写真で表示した看板が数百メートル置きに立ててある。写真に現在位置が示され、津波の警報が出たら、このビルの上階に避難しなさいと、公営団地やら学校やらがこれも写真のその建物がオレンジ色に塗られて示してある。この看板は前からあっただろうか?
 サーファーの他にはジョギングをしている人が行きかう。テレビでマラソン中継などを見ていると、いろんな走り方の選手がいるとわかるが、こういう市民ランナーを見ていると、もっとずっといろんな走り方の癖があるのが判る。まったく涼しい顔で走っている汗もかいていない女性がいるかと思えば、そこまで苦しそうにして本当に健康に良いのか?と思ってしまうほど苦痛に顔をゆがめるようにして走っているおじさんもいる。
 そして、この写真みたいに、砂浜に立って海を見ているおじさんもたくさんいる。じっとしているおばさんはいない。おばさんがいるとしたら写真を撮っているとかジュースを飲んでいるとかピーナッツを食べているとか、とにかく何かをしている。いや、ピーナッツではなくて甘納豆かもしれないしコアラのマーチかもしれないけど。
 おじさんは、腕組をしたりポケットに両手を入れたりして、でもじっと海を見ている。
 足が疲れる。烏帽子岩茅ヶ崎ヘッドランドビーチもなかなか近づかない。だんだんと腰やふくらはぎが痛くなるが、どんどん歩く。砂紋の出来ている砂の上に人の足跡だけでなく鳥の足跡がたくさん残っている。カラスにしては小さい足跡。犬の足跡もあるようだ。
 ベビーカーを押しながら歩く若い夫婦は、奥さんが携帯電話で誰かと話している。子供が出来た、と言うと、先方が驚いたらしく、それを受けて大きな楽しげな声で、本当だよー三ヶ月だよー、と笑いながら答えた。
 茅ヶ崎ヘッドランドビーチから海を離れて、第一中学の横を通り、パシフィックデリを越え、鉄砲通りを過ぎて少し歩いてから左へ、茅ヶ崎駅に向かって住宅地の中を歩く。魚屋では金目鯛をおろしている。
 どれくらい歩いたのかなあ。12kmってところかなあ。帰宅後、昼寝。
 夜、肉じゃが、その他、を食べる。

懐かしい感じの路地

住宅地には空き地があって、そのうちにまた家が建つ。