野村仁展を見に行く


 六本木の国立新美術館に「野村仁 変化する相/時/場/身体」展を見に行く。10時開館で9時50分に着き、もう一人のおばちゃんと二人で開館を待つ。一番に入館して12時半まで二時間半をかけてじっくりと観覧。特に前半の作品に関して、野村仁がどういうことを思索して、それを作品にどう結びつけたか、そのいちいちにすごく共感を覚える。作品の発端に「気になること」があって、それが、時間の中の何かの変容をどうにか留めたいという思いだったり、作画意図を排除したところに現れるものの偶然性がもたらす作画以上のなにかだったり、あるいは自然がもたらす軌跡だったり、そのいちいちが(こんなことを書くと非常に傲慢かもしれないが)私自身も考えたことがあったので共感が自然に生じて、するともうものすごく面白くて、じっくりじっくりと作品を見て行った。
 写真は一瞬を撮るけれど、それに作品を委ねずに、もっと長い時間を表現したいという気持ちが生じることがあって、これは私だけのことではなくて、結構多くの写真を撮る人がそう思うらしく、友人のKくんも昼間にNDフィルターをつけて長秒時シャッターを切ることで短時間に行き交う被写体を消すようなことをやっていた。
 私も、以前、サッカーの試合を同じ席で五、六試合観戦しながら同じ焦点距離のレンズで写真を撮って、それをコラージュしてグラウンド上に数試合分のサッカー選手をごちゃごちゃとのべ何百人も配置してみた作品を作ったりした。ほかにも、ベランダから見た南側の風景をもう十年以上も撮っている。
 高校生のときには、皆既月食を、絞りを絞った長秒時シャッターで撮って、月が動いた光の太い光跡の中をななめに、明るい部分と影の部分の境界が横切るものが写っていて、これは狙ったわけではなかったがすごく面白いと感じたことがあった。電車に乗っているときに、窓辺にデジタルカメラを置いて、駅に着く度に「偶然」カメラの画角となった景色を撮っていき、作画の完全排除の結果が何をもたらすかを期待したこともあった。携帯電話が世の中に普及しはじめたころに、誰かが歩きながら携帯電話で目の前の光景を言語に置き換えて伝えた結果を絵に起したらどこまでが伝わるのかを知りたいと思ったことがあった。あるいは、誰かが赤道儀上にカメラを載せて撮った天体写真を見たときに、星空よりも、そこに写っている山並や街が(カメラが地球の自転にあわせて動くために)ぼけているその像に目が行くことがあったり。ほかにも、春分秋分夏至冬至が来ると、頭の中に太陽と地球と地軸の傾きの位置関係が浮かんでいて、そのあと、昼の長さなりを横軸を一年分の時間軸に表現すると正弦波になるに違いないと考えていたりもした。
 こういうことを考えることって、実は全然特別ではなくて、多くの人が私とおんなじところまでは考えているのだろう。時間とか宇宙とかって真正面に考えると人間の理解を超えているゆえにちょっと思考の道筋を見誤ると、真っ暗な恐怖に落ち込むのだが、その恐怖を避けて考える術を覚えると、こういう表現を楽しんで考えることになるのではないか。
 私は小学生のときに実家の縁側に座って地球儀をくるくると回しているときに、南アメリカ大陸とアフリカ大陸がジグソーパズルのように合致することに気がついたのだが、そこまでは普通のことで大勢の子供が気がついている。しかし、大陸移動説まで辿り着いたなんとか言う学者は、そこからそれを証明するために厖大な時間をかけて検討や考察や実験や調査を行なったに違いない。もちろん私が小学生のときには当然大陸移動説は確立されていたのだが、そんなことは知らなかったから、気付いたときには大発見をしたような気がしたものだった。
 結局、野村仁も、多くの人が共感できる「きっかけ」があって、ただそこから作品に結びつけるエネルギーや工夫がすごいのだろう。そして、発端が共感できて、でもそのエネルギーや工夫や、あるいは表現手段の創出が出来なかった鑑賞者(私ですね)は、野村仁を信頼することでその作品の鑑賞にのめりこめたのだろう。自らが考えられない表現への置き換えの部分を野村仁に代弁してもらうことによる達成感。これはスポーツ観戦をするサポーター的かも。
 しかし、そこから先の音楽表現まで行くとこれはもう驚きだった。驚きなのはその譜面の作成過程からすると、出来上がった音楽が人の心を揺すぶることなんかないのではないか、と思っていたのだが、会場に流れるその音楽がとても心やすまる。そして自然の音を写し取ろうとした武満徹の曲のようでもあった。
「地球と太陽の365日」という作品を作るには、魚眼レンズの光軸中心に春分秋分の人の南中時の太陽位置が合致するような仰角方位調整が必要と思われる。すると、解説にはないけれど作家はある程度完成を予期してそういう設定をしたのではないか?そのあたりの理科系的考察もいちいち共感できた。
 この展覧会は7/27まで。オススメです!
http://www.nact.jp/exhibition_special/2009/03/nomura.html

 そのあとPlaceMと蒼穹社で写真展を見た。Mの島尾伸三は中国の夜の微熱と、時の重なりが、老舗の鰻やのタレみたいだった。

 そこから新宿御苑を歩き、花園神社で唐組の赤テントが準備されているのを見て、ゴールデン街をはじめて歩いた。
写真はゴールデン街そばの小さな飲み屋の入口で撮ったもの。

 昨晩、レンタルDVDで「全然大丈夫」を見た。よかった。


御苑の紫陽花