メタセコイア3月例会


 亞林さんが主宰しているメタセコイアという写真の集まり、京都の学生さん4名と亞林さんがメンバーで、各自写真の束(だいたい百枚以上)を持ち寄り、写真のセレクトは句会方式。感想を述べ合ったあとに街歩き撮影をして、最後は飲み会の席でうだうだと、いやいや学生さんたちだから、うだうだではなくてはきはきと、写真に限らずお話をする、というような中身と聞いていた。3月19日に京都で開催されたその会に飛び入り参加をしてきた。
 ちょうど春休み中ということもありメンバーの学生さんの2名は留学と帰省で欠席。亞林さんとI君とS君、私を入れて4人が参加。
 10時半に進々堂京大駅前店に集合。初めて入店した。写真撮影お断りの貼紙。京大に合格したのだろうか、若い男子と祖父と思われる恰幅の良い老人との二人連れ、店員に頼んで記念写真を撮っている。祖父の痛快でたまらないという笑顔と、ちょっとシャイな若者が微笑ましい。ここの進々堂は、他の店とは全然違って、年月を重ねた建物やテーブルの持つ風格がありますね。このテーブルで京大生たちがさまざまに、例えば日本の未来を語ったり、なんてことより多分圧倒的に、恋愛談義や個別恋愛事情打ち明け話大会、などをしてきたのだろうか。このテーブルで書かれた小説や詩歌もあるのだろうか。森見作品なんかはどこで書かれたのかな?
 4人が持ってきた写真の束を順繰りに回しては、自分の気に入った写真の裏に名前を書く。そのあと、その束の中にまた自分の選んだ写真を戻すのだが、その際に選んだ写真が固まらないようにシャッフルする。
 亞林主宰の写真は、いつもの無機質でかつカラーであってもモノクロームな感じ(無彩色による構成)の底流は変わらないものの、写真の中に赤や青がところどころ点在するようなところもあり、春を待っていた人たちの心が春の兆しにふと和らいだような写真だった。
 S君は学生の日常で出会った友だちや子供や、どこかのおばあちゃん、などの人物写真に、S君のフレンドリーな人柄故と思われる暖かさが漂っていて、私はどう転んでももうこの年代には戻れないわけで、この年代にしか撮れない人物写真を見るととても羨ましく思える。
 I君の写真は若干の露出オーバー傾向も加わり、ポップ。でも世の中に溢れるオーバー傾向の「優しい」写真と違うのは、そこに移動する時間みたいな流れがあるのと、全体をくるむひょうきんでおどけたような軽さがあって魅力的。
 私の写真は須田塾1月例会に持って行ったもので、須田先生からは肩の力が抜けている、といった評をいただいていたもの。多分、どってことないそこらの写真のオンパレードで、このブログにアップしているある程度「見せる」ことを意識したセレクトの前段階の束であることもあり、学生のお二人はがっかりしたのではないかと思う。

 百万遍交差点を数十メートル北へ行った左手二階の小さな中華料理店でランチを食べてから街歩きに出発。食べたのは「あんかけヤキソバランチ」。ヤキソバ+ライス+から揚げ。いつもは列が出来ていて、並ばずに座れたことはほとんどない、というS君の弁。しかし幸いにも、奥に伸びたカウンターが左に折れたところのカウンター四席が空いていた。そのあと、次々とお客さんがやって来て、我々が店を出るときには列が随分と出来ていたので、ラッキーだった。ところでこの店の狭さは半端じゃなかったな。我々が座ったカウンター席の椅子のすぐ後ろにもテーブル席があって、そのテーブルまでしか椅子が引けないことになっていて、そうするとそこを進むための隙間って、身体を横にしなくてはならないのだった。あんかけヤキソバの美味しいこと!

 鴨川沿いだったり、そこから街中に入ったりしながら、寺町アーケードの北側まで歩き、そこからタクシーに乗りタカイシイギャラリー京都へ。ギャラリーをのぞいてからまたぞろ歩いて西本願寺。松原道り商店街のM製パンでハムパンとかを買って、店員の若い女性がカワイイ!などとはしゃぎつつ食べ歩き。やっとのことで繁華街まで戻ってきました。
 はっきりいってすごい距離歩いた。撮った写真は200枚くらいでしょうか。
 トラクション・ブック・カフェで休憩。亞林さんは、店の本棚からギリシャの神々のことが書かれた本を取ってくる。ヘルメスという「ずるい」神様に憧れるというようなことをおっしゃっている。そこから話が偽札のことに飛んで、赤瀬川原平氏の千円札裁判のことなどが話題になる。確かに、いまここで千円札の図柄を書いてみよ、と言われてもほとんど何も覚えていないものだな、とか思いつつ。

 上の写真はトラクション・ブック・カフェを出て、六角通りを東へ歩いたところにあった小さな公園の滑り台。

 夕飯は逡巡しつつうろうろし、最終的には二条通の酒・飯「川とも」に入る。

 さて、何をしましょうか?昼にセレクトした他人の写真を再度、今度はベスト・オブ・ベストのセレクトをしてみよう、ということになり、更にそうして選んだ写真を展示することを想定して並べる順番を決めてみる、ということをやってみた。これがなかなか面白い結果になった。
 まず、私が昨年の12月から今年の1月に撮って、1月の須田塾に持って行った写真から学生S君が選んだ写真をもとに、これは私、岬たくが並びを組んでみたのが下の写真の二列、計8枚。展示する場合、この二列が横一列に計8枚で並ぶことを想定している。S君は、特に、二列目左端の初日の出を見るために波打ち際に人が並んだ写真と、その次のポスターの前に行きかうぶれた人の写真を推してくれた。ポスターに写った顔がぶれていないところに行きかう人の身体はぶれていて、じっと見ているとぶれた身体にぶれていない顔が載っているような奇妙な感がある。
 こうしてS君が選んだ写真を私が並び順を決めるときに、最初に鳩を持ってきたのはやわらかいソフトスタート的なほっこり感を持って右を向いた鳩が鑑賞を促すようなことを考えていたのかもしれない。ラストの砂浜に伸びた自分の長い影の写真は、自分としては並びの最後にこういう影みたいな具体性のない被写体で印象を残すような効果を考えたのだろう。しかし、こういう並べ方もありきたりと言えばありきたりで、そこから抜けるために裏返した写真をただ偶然で並べるようなことと、結果の差があるのだろうか?などともどこかで思うのです。
 尚、S君はこれ以外にも海で撮った写真を数枚選んでくれていたのだが、並べるときに落ち着き先がないように思ったので除外しました。 




 引き続き、I君が選んでくれた私の写真、計10枚を並べたのが以下の三列です。ただ、私の記憶が既にあいまいで、一枚目がこの写真だったかどうかをよく覚えていないのです。たしか二枚目が下が明るいので一枚目は上が明るい写真を持ってきて、これは展示というよりブックにしたときに、見開きの並びの面白さみたいなことをI君はおっしゃっていたような・・・。この並べ方は、亞林さんとI君が決めたものです。



 I君は四枚目の店を撮った写真の中にいるシルエットの二人の人物が全然無関係に行動しているところが面白いとおっしゃる。七枚目の鹿の写真も好きだとおっしゃる。
 亞林さんは五枚目の人物に写っている歩く人の足の位置が、ちょうど前足が止まっている瞬間が多くて、それが亞林さんとは違うタイミングだと指摘。しかし自分はそんな歩く人の足の位置を見てシャッタータイミングを調整しているつもりは全くないのでこれは驚く指摘。そう言われてみるとS君の選んだ写真の人もそういうタイミングで写っているので、無意識的にそういう瞬間を選んでいる、なんてことがあるのだろうか?


 さて、参考に、これは一月例会で須田先生が選んでくださり、並び順も決めて下さった私の写真。同じく左上から右下へ、本来なら横一列に並ぶ前提。これを見ると、I君やS君が選んだ写真と、須田先生が選んだ写真で重なっているのがほとんどない。せいぜい鳩くらい。(ただし、須田塾に持って行った写真の束は、メタセコイアに持っていった写真の束の倍くらいあったので、比較するのには若干無理があるのですが・・・)
 一枚で強い写真を選んでから並びを決めているのか、それとも、写真の束全体の持つ印象に沿って選んでいるか、というような差があるのかな?正直言って、私はどのセレクトが好きだとか、どの並びがしっくりくるか、とか、自分でもその良し悪しまでよく判断できません。








 最後に、これはメタセコイアの日の後日、I君とS君と亞林さんの誰もが選ばなかった写真、しかも須田先生も選ばなかった写真、の束から私自身がセレクトして並び方も決めてみた12枚。最初の砂浜を歩く人の写真は、私自身はかなり好きな写真で、前にも書いたのですが、特に左端の人のポケットに手を入れた感じがアビーロードのジョンみたいな感じに思っているのが思いいれ故の好きな理由だったりするのです。二枚目のオレンジの花。枯れ草色の茎とあいまった乾いた感じが気に入っています。
 3枚目と4枚目は2枚目からのオレンジつながり。同時に3枚目と4枚目の形が左右対称「的」なところも意識。そんな感じでスタートして、ラストの住宅の写真は窓のところに青い地球儀が写っているのですが、そこにどこかへ誘う意味なんかをこめたりしているのでありました。





 こんな感じで、他のメンバーの写真の並べ方もああだこうだと話し合っていたら、あっと言う間に店の閉店時間。最後にジャコ釜飯と蟹釜飯を食べて大満足な例会になりました。