福岡から熊本へ


 勤続30年で会社からもらえる特別休暇中。

 昨日は何人もの友人と一緒にいて、私は旅行者として歓待していただくという立場で大変に嬉しく、楽しい時間を過ごすことができた。
 今日も快晴が続く。
先週の週間天気予報では九州旅行のあいだ、ずーっと雨が続くようなことが書かれていたのだが、昨日今日と天気に恵まれた。

 勿論、月曜日の今日からは一人旅になる。平日の9時前、泊まったビジネスホテルから西鉄福岡駅まで大きな荷物を肩に下げて歩いて行く。駅からそれぞれの職場へと出勤のために歩く人達は赤信号で止められ一群となるから、すれ違いに駅へと歩くと、ある時は大勢の人とすれ違い次には誰も来ない。そうして出勤の人の動線に逆らって、私だけが旅行者で、私だけが日常にいない。久保田早紀が「異邦人」という流行歌でどんな歌詞を歌っていたかは覚えてないけど、あの歌は、軽快なテンポで、マイナーなのだろうがずっとマイナーコードが続 くような暗さだけではなく、サビでメジャーコードになってふっと視界が広がるような、雨の合間に雲間からサーっとひが射すようなところがある。そういうのは確かに旅の始まりの気分に相応しいかもしれないな。もちろんこれは国内旅行だけれど、言葉の正確な意味を無視すれば、一人だけ日常に属さない平日の旅行者は異邦人みたいだろう。この、ささやかな孤独、いや孤独なんていうオオゲサな単語はふさわしくないから、まぁちょっとした緊張感みたいなことが旅行の始まりの朝に相応しい。

 西鉄福岡から大牟田へ。大牟田から熊本へはJRの普通電車に乗る。すぐ前に座った若い女性の隣に、いくつ目かの駅から乗って来た同じような年頃の若い女性が座る。何がきっかけだったのか、やがて若い二人が話始め、その声が聞こえて来る。いちど聞こえてしまうと、彼女たちが大学一年になる同じ年齢で、一方が不慣れな熊本に、熊本駅前で友人と落ち合ってから映画に行くところだと知れる。何の映画を見に行くの?と聞かれ、何か最新のロードショー公開中のハリウッド映画のタイトルが答えとして聞こえたが、そのタイトルをすぐに私は忘れてしまう。

 熊本駅前は工事中。駅のコインロッカーに荷物を入れて、散策を開始。駅でもらった散策マップみたいなものを片手に、唐人町、新町というようなところを通って熊本城へ向かう。途中喫茶グレコという近代建築ビル(ほどは古くないのかな?)の喫茶店に入り、しょうが焼き定食で昼食。テレビでは普天間問題と宮崎の牛の病気のニュース。年配(70代?)の男性客二人、常連と思われる方たちが、店の女性も交えて時事問題への感想などを話している。食後の珈琲がすごく美味しい。驚く、と書くのも失礼かもしれないが、期待以上ですごく驚いた。帰り際にマスターに珈琲が美味しかったと感想を言う。しかし、こんな風に感想を言うこと自体なんだかうかれていてバカみたいか。旅行者はバカになりやすいので要注意だ。

 熊本城公園には野球場側から入る。ちょうど大学対抗の野球の試合が始まって2回まで進み、たしかゼロゼロだった。外野席は芝生席で木陰で寝転がっているおじさんたち数名。だからそういう時間の過ごし方をしたいのではないのか?写真を撮りつつ、被写体を捜しつつ、ずーっと街をうろつき続けて足腰がすっかり疲れてしまうようなことより、外野芝生席とか、そういうところでトランジスタラジオを聞きながらごろごろしているような時間。いつもいつかそうしていたいと思って、結局はそんな誰でも出来そうなことが出来ない。

 熊本城に上って観光客が散らばっている下の広場などを写真に撮ったあと、熊本市現代美術館でテキスタイルの展示を見る。これが見ごたえ十分でした。

 一度駅に戻り駅近くのビジネスホテルにチェックイン。夜は再び繁華街に出て、熊本名物らしい太平燕という麺が春雨風のちゃんぽんみたいなのを食べました。

 ところでそのビジネスホテル。一泊3500円。これが相当年季の入った、しかも当初からチープな作りのビジネスユースオンリーでずっと来ているような宿で、玄関で靴を脱ぎ幅の狭い急な階段を上がると二階に部屋が並んでいる。オートロックなどではなくて、ドライヤーやらは共同使用で廊下に置いてある。部屋は広い。ベッドもセミダブルくらいはある。ユニットバスではなくて、タイルばりの風呂がついている。シャワーを浴びようと栓をひねって、いまの常識的な時間からすると恐ろしく長い時間お湯にならない。昔はこんなだったかなあ。これはもう故障しているのではないか?とあきらめかけたころに温度が上がってちゃんと湯になった。だからそんなにあせってどうするの兄ちゃん、ってな感じである。
 その部屋にはアダルトビデオ鑑賞装置としてフナイ電機製のビデオテープデッキとそれが三十分三百円だかで動くように硬貨を投入するとタイマーが動くような仕掛けになっているボックスがついている。そして、そのあたりにVHSのテープが七、八本置かれているのだが、これがまた1980年代後半のものと思われる。懐かしいH小林嬢などの出演作なのだった。なんだかいろんなものが染み付いていそうでテープに触れることも躊躇われる。もちろん触れないで寝る。

 路面電車、それも夕方から夜の路面電車は人恋しさみたいなことを誘う、とむかしから感じる。その箱の中にだけは灯りがとじこめられていて、外から見ていると、そこにだけ暖かい幸せがあるように憧れるのだった。(実際に乗るともちろんただの電車なのですが)


西鉄福岡駅近くのビルの隙間に陽射しが届く。


野球場に行くと、ジョエル・マイヤーウィッツのセントルイス・アーチの写真集の大リーグのデイ・ゲームの写真とケイプ・コッド写真集の夕暮れの草野球の写真を思い浮かべる。そうすると なるべく劇的でない、そこで試合をやっているのだがその対戦経過なんかはどうでもよくて、後日になって懐かしく思い出すような野球観戦の気分を、今から撮りたい、みたいな気持ちが生じる。それとグレイト・ジャズ・トリオのライブ盤のジャケット写真も思い出しますね。


幼稚園の遠足の記念写真の準備を見ていたら一人の男の子だけが言われたとおりに整列しようとせずに、ずっと離れたところ、この写真の画面外、に逃げてしまっていて先生があわてているのだった。


熊本はオシャレな街ですね。アーケード街の一本裏の道にはいろんな若者向けの店(洋服屋、飲み屋、レストラン、中古CD、等々)がぽつぽつとありました。うーん、上の野球場の写真もそうだけど、バイクと言う被写体もついつい撮ってしまいますね。これも既存の有名写真のいくつかが浮かび、無意識的にもそういう「コンポラ的」な予定調和的被写体に惹かれているということなのかしらん。