熊本からレンタカーで阿蘇へ


 18日はこの旅行の一番の目的においていた阿蘇観光なのだが、18-19と阿蘇に当てた二日間の天気予報が雨。二日確保しておけばどちらかは晴れるだろうと思って計画を立てたのだが、あれまあついてないなあ。
 しかし18日に3500円ホテルをチェックアウトをするときにはまだ晴れている。この宿、結局のところ煙草の残り香がいやだっただけで問題なしだった。チェックアウトするとホテルの小さな毛の長い犬が見送ってくれる。

 熊本駅レンタカーを8時、営業開始と同時に借りて、とにかく晴れているうちに阿蘇に着きたいものだと走り出す。車種はヴィッツ。ナビの言うとおりに走る。東西南北のどっちに向かって地図上のどのあたりを走っているのか、ということを頭にいれつつもナビも使う、という運転をしていると頭の予測とナビの言うことが意見の相違を見ることがあってよろしくない。ので、今回はもう全面降伏で全てナビのおっしゃる通り、地図はまったく見ない(事前情報的にも地図を眺めない)で淡々と運転をする。最初の目的地は草千里とする。
 しかし途中に米塚と言うシンメトリーの台形の山があって、そこいらで一度車を停めて写真を撮ったまでがなんとか青空が雲の隙間からのぞけたぎりぎりで、草千里到着時は厚く雲に覆われてしまう。でも好天に恵まれたいという旅行の最中の思いと、後日になって思うことは全然違うことも判っていて、もしかしたらこの荒天が記憶のための触媒のようになるかもしれないな、と思っている。あきらめの言い訳なのか?

 私は小さなころ、小学生のころからカメラ好きだった父の影響でカメラを趣味にしていて小学校高学年のころに、遠足にカメラを持ってくるのはせいぜいクラスに二人くらいだったというころだったが、その二人のうちの一人だった。高校生二年になった新学期のクラス代えで出席番号が私のひとつ前にTK君がいて、出席番号順に座った教室で、TK君が私の方に向き直り、なぜ彼が既に私が写真を好きなことを知っていたのかは不明だが、とにかく向き直り写真の話を始めた。自分で現像をしてみたいとかそんなようなことだった。それがきっかけで、TK君と私はお互いの家に行っては深夜にずっと引き伸ばしをしたり、そんな風に一緒に写真を趣味にしつつフイルム現像とか引き伸ばしとかを覚えていった。
 そのTK君は四国は松山の大学に行ったのだが、大学生のあいだにバイクで阿蘇に行ったときの写真を見せてくれたことがあって、その写真を私は欲しくなってキャビネサイズのプリントを一枚もらい、いまでもちゃんとすぐに出せるところにしまってある。それは氷結した草千里の沼を前景に、その向こうに三重に山なみが重なって写っているモノクロ写真で、微粒子でかつきれいなグラデーションが出ていて、三十年くらいまえに初めて見せてもらって以降、ずーっと私の中では好きな写真として忘れられない。
 TK君はいまでは写真の仕事をしている。当時のこの写真のことをもう具体的に明瞭には覚えていないかもしれない。
 今回阿蘇に行くことに決めたのも、三十年間記憶に残っているそのTK君の写真の撮られた現場に行きたかったというのが大きな理由の一つなのだ。しかし、彼にそんな理由で九州に行ってくるとメールをしたら、その返信からは、その写真を具体的に「ああ、あの写真ね」と言う感じで覚えているようには書かれていなかった。
 撮った本人より鑑賞者に与えたインパクトが大きくて記憶にも残っているというのでちょっと驚いたのだが、よくよく考えればその方が普通だろう。

 結局、当たり前なのだがTK君の写真のような阿蘇には出会えずに、しかし私の行った阿蘇はここに載せたような霧とか小雨の日で、こうして写真を見ると、これはこれで確かに私の旅なのだな。

 上の写真は中岳火口見物の人たち。霧に覆われて火口はなにも見えない。風も強い。霧の中で右往左往する観光客は、面白くて、随分と撮りたくなってしまい、結構たくさん撮りました。


 阿蘇に向かう。せめてあと数時間、晴れていてくれと空を見上げるも、不穏な雲。


 曇り始める。


中岳火口近くには万が一の噴火時に備えたシェルターが何箇所かに置かれている。そういう説明がなくても、なんだかこういう石造りの「物件」に惹かれませんか?それは何かの記憶をくすぐられる要素があるってことなのかな。


上の写真と同様。これはタクシー観光の運転手と客の老人。


大観峰は雨だったけど水田は光って見えた。