長い日


 長い一日。
 朝、5時前に目が覚める。胸に汗がたまっている。テレビを付けてチャンネルをぐるぐるとまわすと、TV神奈川では横浜ベイブリッジ固定カメラの映像をずっと流している。空は曇り。ベイブリッジを通過する車の多くはトラックである。カーブを曲がってくる。
 昨晩、帰宅したときにはふらふらで、歩くのは勿論いちど家にあがりリビングルームに座り込んだら、もう立ち上がるのも億劫だった。頭痛もひどかったし、ときどき胃がちくちくと痛かった。夏バテということなのか?それで、早々に寝たようなのだが、それこそ疲れ果てていてはっきり覚えていないくらいだ。
 起きてみたら体中に錘をくっつけたようなダルさはないようだった。テレビではベイブリッジの映像に合わせて、女性ジャズボーカルの音楽が流れていて、曲は「時の過ぎ行くままに」。その次の曲とそのまた次の曲の曲名が判らないが、ちょっと泥臭くていい感じ。曲と曲のあいまにぱらぱらと拍手が入るからライブ盤だと知れる。
 時刻が5時5分になると突然その映像が終わってしまう。
 シャワーを浴びて、6時に自転車で海へと走り出す。さすがに早朝は気持ちよい。フイルムカメラのみをぶら下げて行く。茅ケ崎漁港あたりを散歩する。海水浴場にはまだほとんど人がいない。射光線の街は朝も夕も、夏でも冬でも美しいと思った。

 帰宅して8時過ぎ。映画「星影のワルツ」を見る(レンタルDVD)。写真家・若木信吾が、祖父との交流を元にして作った映画だそう。ドキュメンタリータッチ風でありつつ、クライマックスでは極めて計算された美しい映像。

 その後、眠くなり二時間ほど眠る。

 午後、品川原美術館へ行く。電車が寒すぎるとまたどっと疲れてしまうのではないか、ということから、8号車の弱冷車に乗る。乗った瞬間には、弱冷車と思えないほど冷えているように感じたが、品川に着くまでに「寒くて困った」とまではならなかったので助かった。それにしても毎年毎年、JRの冷房には悩まされてばかりだな。

 品川美術館でウィリアム・エグルストン展を鑑賞。パリと京都の新作とエグルストンズガイドの初期作品。エグルストンズガイドの写真は、写真集で見ていた印象よりもはるかにくぐもっている印象。ただ乾いていて、どこまでも澄んだアメリカではなく、鬱屈して疲弊した気分が垣間見えるのだった。植物の葉を裏返す夏の風が、抜け出せないなにかを軽々と越えているように写っているのだった。これらの作品の本領をどかんと見せられた感。
 パリと京都に共通なのは色に対する視点で、ときに若い女性的なショッキングピンクやレモンイエローや、そんなところにもエグルストンの目は向いている。若い若い。
 ガラスに映りこんだ背景とガラスの向こう側を重ねたような作品はさまざまなことを想起させる。京都の犬注意のマークと犬の写真の切り抜きの写真なんか面白かった。日本人だから写真の中にある日本語を読んでしまうが、京都の写真を日本語や漢字が読めない人が見たときの印象は全く別物なのだろうな。

 そのあと北品川の商店街を歩いて品川に戻る。

 横須賀線江ノ電を乗り継いで由比ガ浜へ。もう六時を過ぎているがまだまだ浜辺は明るくて、まだ帰らなかった水着の上にTシャツを着込んだ海水浴客が海風を受けてそこにいる。そこにいて、そこにいるだけがいる意味みたいに。

 浜辺からラ・ジュルネへ行き、コロナビールを飲みながら暗くなっていく空を住宅の合間から見上げていた。本日の特典(?)食用サボテン入りの「韓国風青菜ご飯アボガド載せ」を食べた。おいしい。

 それから由比ガ浜通りと御成商店街をスナップしながら歩き、鎌倉駅にくっついているようにあるカフェ・ロンディーノでホット珈琲を飲む。すぐ隣に座っている四人は外国の方でずっと英語を話している。するとこちらが異邦人で、知らない街で夜を迎えようとしているような気分になった・・・というかそんな風に感じてみたいと勝手に作っただけなのか・・・な。

上の写真は早朝の茅ヶ崎漁港。私の影も写ってます。
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原美術館の公衆電話




鴎って団体行動するってことか、軍団になって西から東へ。




由比ガ浜通りの銀細工の店のショーウィンドウ。この数字は何を意味するのかな。


フイルムがなくなってしまい、この写真だけはコンパクトデジカメです。