大阪へ


 30日土曜日から一泊二日で大阪に行って来た。細かい背景は割愛するが、結果としては家族旅行である。ただし、土曜日は夜十時に家族全員が合流するまで、とあるイベントに出かける「妻とむすめ組」と「息子と私」組は別行動となる。

 午後1時少し前に新大阪に到着。大阪に来るのはおよそ一年ぶり。御堂筋線に乗って、淀屋橋駅で妻組と別れ、自費出版の本や写真集なども置いてあるというcaloというブックカフェへ。次いで国立国際美術館へ。東京展には行けなかったマン・レイ展。ここで京都からやってきた息子と合流した。以降、昨夏、島尾伸三展のときに寄ったport gallery Tへ。藪本絹美展「北10号」展の最終日。すぐ近くの、古そうな(実際にマスター66歳にお聞きしたところ開店してから38年だかだそうであった)喫茶店で珈琲を飲む。そこから更に歩いて大阪農林会館ビルのナダールで尾黒久美展を見てから、同じビル2階にあるベルリンブックス。何冊か本を買い求めてから、地下鉄に乗って梅田へ行き、空中庭園展望台に上がり大阪の夜景を眺めた。その後は妻組と合流、お好み焼きなんかを食べたのである。

 マン・レイのことはソラリゼーションやらコラージュを使った作品を残した前衛的写真家という認識だったが、そういう捕らえ方では間違っていて、写真であり絵であり彫刻でありオブジェでもあり、そういうふうに表現分野を限らずに何かをぽろぽろと生み出し続けた人だったことを認識。マン・レイが生きた時間に沿った時代と共鳴しながら、共鳴の結果を実験的に残し続けたたという中で、後日の評価で一番目立ったのが写真だったから、安易に写真家という括りをされやすいということだったのだろうか。マン・レイの作品の何かに心底惹かれる訳ではないのだが、一生ずっと創造行為にのめりこんだ表現自由人のようでそれがすごいことだと思うのだった。実際にはそういうのって、鬱屈とか後悔とか不満とかと、希望とか熱意とか満足とかが、交互に襲ってきそうで不安定なのだろうな。一つの分野で確立した名声を得て安住しないのだから。だから若々しくもあるのだろうな。とか思いつつ、それにしてもすごい出品数の作品を見学した。

 ところで、もう十年以上前だろうか?比較的自由時間の多いヨーロッパ出張(などという悠長な仕事は今はもうどこにもないですね)に恵まれて、パリで一日半ほどの自由時間があったときに、とは言っても業務出張なのであまり詳細な計画を事前には立てておらず、さてどうしたものかと、当日になってガイドブックをめくると、モンマルトル墓地にマン・レイ夫妻の墓があるという一行に目が止り、写真趣味なのだからこれも縁、とかなんとか理屈をつけて、その墓地に行ってみたことがあった。夕方近く。入り口には観光客のために著名人の墓地マップが置いてある。それを参照しながらマン・レイと地図上には確かにある墓を探して、迷路のような墓地内の小道を右往左往したが見つからない。見つからないままに一時間ほどが過ぎてしまい、そのうちにカランコロンと鐘を鳴らしながら園内をめぐる車が閉園を告げて行くのだった。
 墓地に閉じ込められたらたまらない。そこで慌てて園から出たのだが、こうなると悔しい。そこで、その翌日になんとか運河とかなんとか教会とかを見たあとに、再度マン・レイの墓に行くことを試みたのだった。二日目には、一日目に何を迷ったのか?わけがわからないというくらいすぐに、簡単に、マン・レイの墓は見つかった。しかし、手向けの花を買ってきたわけでもない。そこで目を剥いてこちらをにらんでいるような(風にそのときは思えた)マン・レイの写真と奥さんの笑顔の写真が墓石とともに置かれているそこに向って目を閉じて手を合わせてから、持っていたライツミノルタCL+トライXで一枚、立ち位置のまま見下ろすようにしてマン・レイ夫妻の写真を、写真に撮った。それが十年以上前。

 数年前、ネットサーフィンなんかをしていて、藤岡亜弥という女性写真家の「さよならを教えて」という、そのタイトルだけでおセンチな物語を内包していそうな写真集を知り買ったことがあった。今でも大好きな写真集。この写真家はAKAAKA舎からの新作(スキンヘッド頭を上から撮ったちょっと驚く表紙写真ですね)も出ていて、その後も大活躍みたいだ。その「さよならを教えて」をめくっていったら、ちょっとびっくりしたのが、私が立ち位置のまま撮ったマン・レイの墓の写真が出てきたからで、さすがの女流写真家は墓の前にしゃがみこんで、いやもしかしたら寝転んでかな、墓石の上に空を入れたアングルでマン・レイの墓を撮っているのだった。その写真の前のページには、地面一面に黄色い銀杏の?落葉が覆うモンマルトル墓地のベンチに背を丸めて座る黒い服に身を来るんだ女の写真が載っている。そこからの流れ、そのあとへの流れが、映画のような写真集。旅をしていれば日常から逃げられるようでいて、実際には旅の局面局面でまた新たな人との交錯があり、それが深まることは嬉しいことだけど、それって日常(のようなもの)からの縛りがまたそこに芽生えているということで、人と人が愛情や友情で縛りあうような安息へ向おうとする力をうまく制御しながら、場所を変えて行こうとする思い、その思いを別の視点からふと自問して、なんて馬鹿なことをしているのだろう安住してしまえばいいじゃないかとも考えてしまう。その葛藤が、この写真集にはテキストが添えられている(誰か自分を好いてくれている男とのメールのやりとり形式)のだがそのテキストからそういう匂いが立ち昇り、でもやはり場所を変えていく、その日々に目の前に展開した映像が写真として並べられている。いままた見返したけど、うん、いいなこの写真集は。

 と、マン・レイから藤岡亜弥に話がスライドしてしまったが、そういう場所を変えて行きながらの視点みたいなことからも面白かったのが藪本絹美展「北10号」の写真展だった。京都の古いアパート(ご本人にお聞きしたら私の想像通り、そのアパートは玄関先に枝垂桜が咲く白川疎水沿いのアパートだそうだ)の自室で、その部屋を去るにあたり撮ったという写真(去ることが決まってから撮ったのか、去ることになったので撮り溜めた写真を作品としてまとめた、ということなのか、そこらあたりをちゃんとお聞きしなかったが)で、いかにも古びた壁の前に置かれたテーブル、そのテーブルに置かれた目覚し時計やら二眼カメラやらの物の連作、あるいはカーテンの連作、などからなる写真展。それを見ていて感じた不思議な気分は、そこが自分が住んでいた場所にもかかわらず、特に物の写真はそれらの物が藪本さんの持ち物なのだろうに、骨董屋の店先でふと気になって手にしたけど、結局は買うこともなく、また元あった場所に戻した、その戻した瞬間のその物のような、決して自分の物ではない一瞬擦れ違っただけの物のように見えたことだった。鑑賞している私自身が旅先にいるという、その心の状態も何らかの作用をしているのだろうな、そんなことで写真がどう見えたかということも、変化するだろうな。

 ベルリンブックスでは平出隆著「左手日記例言」を購入。ページを開くと、見開きの左側のページにのみ文章が印刷されていて、右側は白紙という洒落たつくり。最初は、へえなんだかいいね、と思っただけだったが、なるほど「左手日記」であるから、そこからこういう作りになったのかと気付いて感心。本の構造やデザインから手にしたときの印象ができ出来上がって、その印象って実は相当に、この本をどういう風に読んでいこうかと思う気持ちを支配するもののようで、アンチ電子書籍というわけではないけど、こういう端正は本に出会うと、雑念のないときにすっきりとした気分でこの本を読みたいと思うのだった。


左手日記例言

左手日記例言

さよならを教えて

さよならを教えて