野口里佳展 熱海


 朝4:50頃に目が覚める。まだ暗い。ベッドの回りにちらかっていた雑誌などを適当に手に取り、ページをめくってみる。そのうちにまた眠ったと思うが、6時過ぎにはもう起きている。早く起きたので、さて、どうしようか。
 三島のクレマチスの丘にあるIZU PHOTO MUSEUMで野口里佳「光は未来に届く」が始まっている。来年の3月まで続く展示で、来年にはアーティストトークもあるらしいから、その機会に行こうかな、と思っていた。あるいは、もしかしたらHさんが遠路上京して野口展に行くかもしれないな、と勝手に推測していて、だからHさんが来るときに同道しようかな、とも思っていた。しかし、ときどき読んでいる大阪の方にお住まいの(面識のない)某氏のブログに、その感想が書かれていて、それを読んでいたら早く一度見ておきたくなった。せっかく早く起きたから、今日、行ってみることにする。
 昨日、どこかの古書店で買った井伏鱒二著「海揚がり」を読了。引き続き、これはたぶん三年か四年くらいまえに、吉祥寺の古書店で買ったように思うのだが、同じ井伏鱒二著「神屋宗湛の残した日記」、ずっと読まずにいた本をトートバッグに入れてきたので下り東海道線で読み始める。すると、最初に収録されている「うなぎ」という短編で、来宮の双柿舎という坪内逍遥の旧居で、同窓会が催されるという場面が出てきた。それで、三島で野口里佳を見たら、その帰り道には来宮に寄ってみようと思い立った。
 三島駅には9時少し前に到着。クレマチスの丘に行く無料送迎バスの始発は9:40なので、駅のドトールでCセット(ホットドッグとホットコーヒー)を食べながら、上記の本を読み進む。
 始発の送迎バスに乗り、10時に到着。開館したばかりの野口展を早速に鑑賞。フライヤーや美術館の入口に掲げられた解説の文章には「小さな宇宙と大きな宇宙、微視と巨視を行き来する独自の視点で、野口里佳は不思議さに溢れたこの世界を写し取ります。」と書かれているが、そういう「微視と巨視」というようなことは本質ではないように思う。太陽のシリーズの展示はなかったが、太陽という唯一の地球をライティングしている照明装置があって、そのライティングが快晴や曇天や、夜(月に反射して間接照明となる)や、霧の中や、で、さまざまに舞台を変化させている。このタイトルの光とは、太陽光と自然が作った舞台、といったようなことを指しているのではないか、そして、そのどの舞台にも優劣はなくて、そこに人そのものが、あるいは人が造り出そうとしている「もの」や「こと」が、時間の中で脈々と、無頓着であったり滑稽であったりしながらも、真剣に続いている。継続している。写真家が撮っているのは、そういう「もの」や「こと」が重要なのではなく、「もの」や「こと」が行われている空間、光に満ちた空間なのだ。その空間がまず最初にあって、その中で、些末なこととして微視や巨視があるのだ、みたいなことを初期の連作の「創造の記録」の多くの写真に写っていた、明るい曇天のフラットな空、を見て感じた。
 あるいはシルクスクリーンの作品は、鑑賞者の立ち位置によって、作品の中に偽信号のような錯覚の縞が見える。それは、その後に展示されているスライド・プロジェクションによる「光の思い出」で、投射された作品の輝度変化のせいなのか、それが写真であるのに動画のように、もやもやとした動きがあるように思える錯覚にもつながっている。単純明快ではない作品の並べ方や、上記のような見え方の時間軸における変化の仕掛けなど、ずいぶんと鑑賞者を罠にはめるような展示だった。面白い。
 一時間ほど鑑賞し、11:15発の無料送迎バスで三島に戻る。このバスをのがすと13:15までバスがないので、ちょっと急いだ感があるが仕方ない。

 三島に戻り、駅の南口まで歩く。ファミレスやファストフードの店ではなく、地元の古くからありそうな店で、最初に見つけたところで昼食を食べようと思っていると、道の向こうに「キッチンとん」というのがあった。ちょうどお年寄りが暖簾をかけているので、一番客として店に入りカウンターに座った。するとそのお年寄りと見えた方が、ついできりりとコック服を着込み、コック帽もかぶって料理人に大変身。七十〜八十歳くらいだろうか。ミックス定食(ヒレカツとクリームコロッケの定食)を頼む。そのうち次々のお客さんがやってくる。ハンバーグ定食を頼む方が多いようだ。地元に根差した、昔から信頼を得ている洋食屋さんという感じ。目玉焼き、懐かしのスパゲッティナポリタン、キャベツとレタスとトマトのサラダ、それにメインのフライが楕円形の銀色のステンレス皿に乗って出てくる。赤だし味噌汁、香の物、ライス、とセット。素晴らしい。

 駅近くの楽寿園に入ってみる。二十三年くらいまえに妻と二人で来て以来の楽寿園。大雨のあとだからか池や川の水量は多い。園内の動物園、二十数年前には象がいたように記憶していたが、象はいなかった。帰宅して妻に聞いてみたら、妻も「象はいた」と言っていたので、この二十数年のあいだに動物もずいぶんと変わったということなのか。一昨日の台風の大風のせいか、巨木が倒れていたり、あるいは風で折れたのか葉をつけた折れた枝がひとまとめにされている。枝に付いた葉はすでに色あせ始めていた。

 熱海へ。次の伊東線まで三十分あったので、来宮駅まで歩く。さらに目的の双柿舎へ。しかし上り下りのある道ですっかり疲れてしまったな。井伏鱒二の小説に出てきた双柿舎は日曜日のみ公開しているらしく、今日は開いていなかった。それでも門の板戸の格子から中をのぞいてみたりした。

 昨日読了した井伏鱒二著「海揚がり」に、タイトルは忘れてしまったが、蜜柑のことについて書かれた短編があって、そこで主人公(たぶん井伏鱒二本人)は、グレープフルーツの種を植えてみる。するとグレープフルーツは発芽し、すくすく育ち、予想外に早く花が咲く。
 それを読んで、先日石田千の小説でアボカドを植えた場面を読んだばかりだったのでその類似に驚いた。と、同時にそういえばもう二十年以上までに藤が丘(横浜市緑区)に住んでいたときに、駅にいく道筋にあった公園の楢の木の大きなどんぐりを拾って、それを植えたら芽が出たことを思い出した。芽が出た団栗は数十センチまで伸びたところで、実家の庭に植え替えた。毎年、実家の庭の手入れをする植木屋に言わせると「こんな雑木を植えることはない」ということらしい。数年前にはそれでもその木は、植木屋が毎年どんどん切っているからなかなか伸びないわけだが、それでもその木は2mくらいに伸びていたのではなかったか。しかし最近は実家に行ってもそんな木のことは忘れてしまって、庭に出ることもない。もしかしたら、もう抜かれてしまったかもしれない。
 トム・ウェイツのグレープフルーツ・ムーンという曲。その月を、私は、近視眼または酔って視界がぼやけて、月がいくつかに分かれて鈴なりのように見えていることを歌っていると、勝手にそう解釈していた。そもそもグレープフルーツはそれこそブドウのように鈴なりに生ると聞いたことがあったが、それすら本当かどうか?でもそういうことを聞いたことがあったから複数に分かれてしまって見える近視眼的な月だからグレープフルーツムーンなのだと思っていた。
 しかし、最近になって、その勝手な解釈は間違っていて、単純に満月がグレープフルーツの実のように、まんまるでクリーム色に見えている、そのことを歌っているだけなのではないか、と思うようになった。
 こんなことは調べればすぐにわかるだろうけれど、調べていないから正解は判らない。私は近視で、あるいは乱視も混じっているからか、裸眼で月を見上げるとぼやけつつ複数に分かれて見えるから、そういうグレープフルーツムーンだと思い込んでいるのだろう。


Closing Time

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神屋宗湛の残した日記 (講談社文芸文庫)

神屋宗湛の残した日記 (講談社文芸文庫)