写真家の言ったこと


 品川キヤノンサロンで開催中のGlass of Lensレンズの一瞥横木安良夫〜写真て、いったい何なのだろう?〜に合わせて開催された横木氏の講演会を聴いて、それから新宿へ移動し、新宿三丁目のプレイスMで須田一政写真展「sign」を見て、夜7時からは瀬戸正人氏×須田一政トークショーを聴いてきた。
 そのあいだ、新宿三丁目蒼穹社に立ち寄り、たくさん写真集をめくり熊谷聖司写真集「あかるいほうへ」を購入した。
 トークショーのあとには新宿駅まで歩き、タワーレコードで数十分ジャズコーナーをうろついてから、湘南新宿ライン茅ヶ崎に戻る。23時過ぎに帰宅。

 横木さんの講演会は思いつくままにどんどんと話が展開していく。冒頭、「最近の日本の若い人の写真などはコンセプチュアルでないとだめみたいな感じで言葉の説明がつきまとい、写真はアート、みたいな風になっているけど、写真に言葉なんかいらない、というか、あまり言葉に寄り添うと・・・(後略)・・・」と話が始まった(これがトークショーで突っ込みどころやわかりにくいところでそれをうまく誘導する相方がいたらもっと面白かったと思う)。写真は撮ってから見るまでの時間が経っていけばどんどん良くなっていく、なんてことも当たり前に言っていたのも印象的。写真に心なんか写らない、と断言していらっしゃった。

 瀬戸さんと須田さんの対談は、これは秋の夜長にふさわしいぼそぼそと時間が過ぎる中でおしゃべりが続く。瀬戸さんの「みんな自分が撮った写真だから自分の写真だと言っているけど、本当は写真は見る人と写真のあいだの関係」みたいなことをおっしゃったのに深く同感。須田さんは須田塾で塾生の持ってくる写真の束を見て、写真を選ぶときに、フイルムのきれっぱしやぼけにぼけた写真やらもどんどん選抜するが、ご本人の撮るものとなるとそういうのはあまり見当たらない、と常々思っていたのだが、今日「僕はピントがきちっと来ている写真(を撮るの)が好き」とはっきりとおっしゃった。自分が写真家としての作る写真の特徴と、鑑賞者(または選者)として他人の写真の色(個性みたいなこと)を汲み取っているときとで、ちゃんと区分けしていらっしゃるのだな、とあらためて思う。ふつう塾長は塾生を意識せずとも自分の色に染めていきそうなのだが、須田塾で染まるとしたらあえていえば須田さんの選者の眼に染まるのであって、カメラマンの須田さんははるか違うところで悠々と好きなことを邁進している。言い換えると塾生は須田さんの選者の眼にこたえようとして写真を撮るのではなくて、やはり悠々と好きなものを撮って持って来いとおっしゃっている・・・のではないか。

 あれ?そんなことすでに須田塾のみんなはとっくに気づいていて私だけが今頃?・・・汗)