相模川河川敷


 午後、NDフィルターを装着したカメラと三脚を持って自転車で相模川河川敷まで行ってみる。河川敷平塚側のサッカーや野球のグラウンドで試合が草試合が行われていれば、撮ってみようと思っていたが、着いてみたらコスモス畑の花が満開(あるいは少し満開を過ぎている)で、それを見物に来ている恋人たちや家族連れがのんびりと歩いていた。でも、帰宅して写真を見てみたらあんまり面白い写真が見当たらなかったな。茅ヶ崎側の河川敷の、これは何の作業場なのか?いつもトラックやショベルカーが動いている場所を撮った方が少しは面白い写真があったのでアップしておきます。

 昨日、長島有里枝展の会場で、偶然若い写真仲間のT君に会った。小一時間、近くのカフェでコーヒーを飲みながら話をした。彼は被災地の写真救済プロジェクトに係わっていて、毎月作業のために東北に行っているそうだ。娘さんのことを、毎年毎年ずっと撮り続け、同じ種類、同じ大きさのアルバムに、同じサイズのプリントを貼ってある、その何冊もあるアルバムが津波に濡れてしまったので、修復を希望して持ち込んできたご老人がいらっしゃったそうだ。その方のアルバムをずっと修復や複写していると、写っている娘さんに自然と感情移入してしまい、その写真からわかる時の流れや、個人の物語に、ひどく感情をかきまわされた、といった話を聞かせてもらう。そして一緒に作業をしていたカメラマンの方とともに、写真の力を改めて感じてうれしかったとも。あるいは、2000年以降データをPCで見るだけになったために、洗浄するプリントの枚数が少なくなっているという話も聞いた。実際にそういう作業を少しでもやっている人の話は軽く聞き流すことが出来なかった。
 最近ファウンドフォトがちょととブームというのか取り上げられることが多いのは、1960年代から90年代くらいのあいだに撮られた写真枚数が急速に増大したことと、そこから今までに流れた時間のなかでどう風景や光景や流行が変化したか、そして生物たる人間の記憶がそのくらいの時間でどう変容したか、といったいろんな要素がうまく反応して、ブームというより必然としてそういうことが起きているのではないか?などと思った。