茅ヶ崎花火大会


 花火大会に行ってきました。茅ヶ崎の花火大会のメイン会場は海水浴場や漁港のあるあたりです。メイン会場で花火を見上げると、どんどんと言う腹の底まで響くような音がすごい迫力で、真下から見上げる花火はものすごく大きい。五感を圧してくる迫力です。でもここ何回かと同じく、今日もメイン会場から少し西に歩いた砂浜に行きます。波打ち際から狭くなってしまった砂浜の急こう配を上がった海沿いのサイクリング道路のあたりは、折りたたみ椅子やレジャーシートを広げた見物客が「ほどよい」間隔でのんびりと花火を眺めます。写真を撮るのは思いのほか大変です。いや、花火そのものを撮るのならそれは確立された手法があるのでしょうから、それさえ間違わずに着々と駒を重ねると、そのなかからきっと「いっぱつ決まった」写真が収穫できるのでしょうが、こういう見物客を撮るのはそれはそれで難しい。まず、ピントを合わせる距離が無限ではないのですが、暗いからAFがなかなか合いません。多くの人がコンパクトデジカメから携帯電話を使って写真を撮るのでその液晶の明かりを一眼レフの測距点に合わせてなんとかAFを動かしますが、ときとして誤測距するので、持ってきた小さなLEDライトで距離表示をチェックしたりしなければなりません。どうしても合わないときは目測で距離を測ってマニュアルで指標だよりに操作します。水平もわかりません。砂浜の起伏の中に三脚を立てるので、三本の足を同じ長さにしていてもそれだけではカメラは傾いてしまいますが、かといってファインダーをのぞいても、暗くてよくわかりません。目で見た実景とファインダーの中の人のシルエットなどを比較しながら、だいたいの水平を出すようにします。露光はマニュアルにします。上記のとおり距離設定がままならないので深度を稼ごうと開放から絞ります。二段くらいは絞りたいと思ったりします。しかしISO感度は自分としてノイズの許容できる上限までしか使わないですから、今日のカメラではISO1000までにします。シャッター速度があるときは花火をそれなりに残したいときは4秒くらい、花火の入らない方向にカメラを向けているときは25秒くらいと、設定を臨機応変に変えることになります。もちろん25秒も開けていると静止しているとはいえ大抵の人は被写体ぶれで動いてしまいますが、さすがにそれはもう許容するしかないです。さて、同じ25秒露光にしていても、そのあいだに上がった花火がどういう明るさだったかどういう色だったかによって、出来上がる写真は露出適正になったりオーバーになったりアンダーになったり、あるいは赤っぽくなったり緑っぽくなったりと、シャッターを押した時点では判らない未来の25秒先までの時間に起きた偶然が結果を左右します。というようなことを考えながら撮っていると汗びしょびしょになります。小さな三脚なのでしゃがんで操作する。また立ち上がって場所を変える。一連の準備をするのにまたしゃがむ。砂浜は直前の雨でぬれているのでおしりをべったりつけてしゃがむことはできません。それで中腰姿勢も多くなります。それでも花火を見上げます。長時間露光中は待っているだけなので花火を見物できます。この場所からは海に花火の光が反射してそれが素晴らしい。今日は波が高いこともあって浮かび上がる海が美しい。これは海辺の花火大会の特典です。

 子供のころ、父の実家のあった金沢市にお盆休みに帰省したときに、どこかで花火が上がるのを見ようと丘の上におじさんの車で上がりました。スバル360だったように思います。山というのは市内の卯辰山公園だったのかな。そこからすごく遠くに花火が上がるのが見えました。いま、当時の記憶をもとに考えると、その山から花火会場まで5Kmくらいはあったのではないだろうか。私の父は当時ハーフサイズのカメラを持っていて、それにポジのフイルムを入れていました。そしてそのカメラ、いまみたいにズームではなくてせいぜいフルサイズで50mmくらいの画角だったでしょう、それで花火を数枚撮りました。後日、そのフイルムが平塚の市川写真店からマウントされて戻ってきます。夜になって白いシーツを映写幕がわりにして画鋲で壁もしくは襖に留めて、ミノルタミニというスライド映写機で写真を投影します。それは家族のちょっとわくわくするイベントでした。花火の写真は真っ暗な中に、手振れも加わったせいか、ただのオレンジの光の痕跡のようにしか、それもすごく小さく、写っているだけでした。それでもそのときは遠くで見た花火の、遅れて聴こえてきた破裂音や、たとえば帰りに山の公園のトイレでクワガタ虫を見つけたこととか(これはでっちあげたエピソード)、を思い出したでしょう。そして、数十年たつと、今度はその、夜の家庭内映写会もなつかしく思い出されます。

 前も同じような感想を書いたけれど、本当は写真なんか撮らずに、ここに写っている人たちのようにただ花火を眺めていた方が上質な時間の過ごし方のようだ。いつも写真を撮っては少し後悔したりしている。

 家に帰ったら9時だったので、それからサッカーの後半をテレビ観戦しました。