大事だったことをたどる


 清澄白河小山登美夫ギャラリーでライアン・マッギンレー Reach Out, I'm Right Here展を見ました。華麗に輝いて、繊細で穢れないゆえにはかなくて、なるほどこのシンプルな神話のような世界が新しい支持をどんどん獲得していったのはそういうことかと圧倒されました。なにかと難癖も含めて理屈で解釈しようとすること全てを拒否される感じでした。次の予定があって短時間しかギャラリーにいられませんでしたが、清澄白河駅に戻る途中も飾ってあったすべての写真を覚えることが出来ているのが不思議でした。最近の老化した記憶力だと印象だけは覚えても、中身の実際はすっかり忘れてしまう、それも即刻、ってことが多いのです。http://www.tomiokoyamagallery.com/ja/

 続いてキヤノンサロンで津田直写真展Storm Last Night/Earth Rain Houseを見て、トークショーを聴きました。アイルランドスコットランドの西部や西部の島々で数千年前から営まれていた暮らしの跡をたどりながら記録された写真です。消えかかっている先人の足跡をなんとか辿って、そこに残された痕跡から想像や分析を総動員して、痕跡ではなく実世界として(想像上とはいえ)体現して、その中でそこを見つめて一つ一つ写真を撮って行く、その行為を写真家は、当時の石積みの住居に例えて、まさに一つ一つ石を積むような行為だと説明しました。飛行機で渡れる離島もなるべく当時の視線がわかるように舟で渡り、その先も歩いて辿りながら、歩きながら時間を超えての理解が進むように考えるという行為だとトークショーを聴いて理解しました。彼は写真家というより歴史民俗学者+考古学者+思索家であって、写真の裏にはそういう結果のテキストがあるようで、こういう作品はそのテキスト(説明)またはそれがないなら見る方にそれなりの知識があった方がいいのかもしれない。津田直のたどる先人の道と、石川直樹のたどる先人の道は、場所こそ違うけどその発意の根拠の部分にはなんか共通性がああるのだろうか?どうして同じような世代にそういうことをする写真家が二人(あるいはもっと?)出てきたのか?
 トークショーでは幼稚園のときから毎朝朝食前に近くの700mくらいの山に登山を重ねていて、一年365日は無理にしても360日は越えた、とか、それは祖父がそういう習慣を持っていたから当たり前と思っていた、とか、小学校4年からドロップアウトした、とか、なかなか個人としても興味深い方でした。いま行なっていることは「大事だったことをたどる」ということで、それは「新しいものを探す」よりずっと価値があることだと思っている、とのこと。ずっとそういうことをしていると五千年前と四千八百年前の違いが判るそうです。すごい若者がいるものだ、と感心しました。
http://cweb.canon.jp/gallery/archive/tsuda-earthrainhouse/index.html
 トークショーでは6×17や6×7で撮られた写真展に使われたシリーズのほかに、撮影行の日々をスナップした写真のスライドショーも上映され、これらはご本人いわく「文房具」であるところのコンパクトデジタルカメラで撮られたものでした。そのスナップシリーズはご本人の認識ではただのメモってことでしょうが、これもなかなか見応えがありました。
 珍しく(?)聴講者からの質問も良かった(またぞろカメラはなんですか?なんて質問が来るかと思っていたらそんなんじゃなかった)。

UNTOGETHER

UNTOGETHER

タワレコで買った新しいポップ

 そのあと初台に回り、もう一つのbook fairに寄って、新宿タワレコに寄ってから帰りました。写真は新宿駅南口あたり。