記憶写真展


 写真は自家用車のHDDカーステレオの操作画面。るつぼのぼるつとは坩堝の電圧くるりのアルバムです。渋滞で完全停止しているときです。

 17日の日曜日は目黒区美術館に記憶写真展を見に行く。目黒区在住の一般の方、といっても昭和20年代〜40年代に多くの写真をスナップ記録していたカメラマンなのだから、相当にディープなカメラ趣味の人たちに違いない、そういう方が撮った街角写真(高度成長期の工事現場、商店街、駅周辺、等々)や小学校の記録写真を展示している。展覧会の「ごあいさつ」文によると、古い写真は撮った人が主被写体と思ったものだけでなく背景に写っているいろんなものも含めて記憶に訴える、というようなことが書いてある。そしてそこに生じる「記憶をたどる懐かしさ」を楽しんでもらうために撮影者名と撮影場所は展示写真に書き添えていない、というようなことも書いてあった。
 このころにカメラ趣味の人たちは今みたいにカメラ雑誌のグラビアなんかでプロの写真を見ながら影響を受けていたのだろうか?見ていると木村伊兵衛のスナップを思い出したので、そこからそんなことを考えた。木村伊兵衛の代表作「本郷森川町」のコンタクトプリントを、以前、NHKの番組で見たことがあるが、あの著名な駒に至るまでに同じ撮影ポジションで同じ画角で連続的に数枚撮ってあった。記憶写真展のカラーの駒のなかに、それと同様に、同じポジションで連続的に撮られた駒が展示してあって、それは右側に郵便ポストの赤がある歩道を見通す位置から撮られていて、行き過ぎる通行人の位置が時間のなかで変化し、その間におばあちゃんと三人だか二人だかのお孫さんが郵便ポストの前の店から歩道を横切ってポストに投函に行って戻るという流れが写っていて、その中での人の配置とシャッターを切っているタイミングなんかが絶妙で素晴らしかった。工事中の渋谷駅前の写真などは、当時の標準レンズが55mmだったからか、ちょっと微妙な中望遠圧縮効果が見えていて迫力がある。
 記憶をたどる懐かしさよりも、そのころのカメラ趣味の方への尊敬と共感を覚える方がずっと大きいのだった。

 そのあと目黒川沿いの桜並木を中目黒まで歩いた。