バラの花


 レベッカ・ブラウンの「若かった日々」のあとに、これもずっと前に買ったまま読まずに未読本タワーを構成していた講談社文芸文庫阿部昭著「単純な生活」を読んでいる。今日、茅ヶ崎から乗った上りの東海道線の中でその151ページを読んでいたら写真のことが書いてあった。阿部昭の息子が中学校の修学旅行で一泊二泊で日光へ行ってきた、という出来事にまつわる話である。1980年代前半に書かれたものだ(と思われる)。中学生の息子さんが東照宮での記念写真をおみやげと一緒に持ち帰ってくることから、写真のことを阿部はこう書いていた。
東照宮での記念写真を即日おみやげと一緒に持ち帰るというスピードぶりには一驚した。そして、少しばかり現代の子供たちを可哀相にも思った。いくらなんでもこれではオートマチックすぎ、味気なさすぎるではないか。旅の思い出の写真は何日かして出来上がってきたのを教室で配られるほうが楽しくはないか。」
 須田一政さんは、いつぞやのトークショーで、瀬戸さんに「須田先生はデジタルは使わないのですか?」と聞かれて、「僕は使いませんねえ」と答え、さらに瀬戸さんが「なぜか?」と質問すると
「撮ってから写真が出来てくるまでの時間に、どんな写真が撮れているかを妄想するのがいいんですよ。それで写真が変わるわけではないんだけど」
と答えていた。写真は変わらないけれど、写真を見るための姿勢や見極める力は、時間差があることで良い方向に変わっているのかもしれないな、と思った。それって結局は写真が変わっているということと同じ。
 撮った写真を簡単に見てしまうことは「つまらない」と阿部は、当たり前のように看破している。そういう感覚は、最初からデジタルカメラしか使っていない世代には「わからない」。そういう風に「わからなく」なった、絶滅した感覚がたくさんあるのだろうな。とか書きながらも、私はデジカメでせっせと写真を撮っているわけではありますが。。。

 鎌倉文学館にバラの花を見に行くことにする。今年は季節が進むのに寄り添って、梅見物に行き、桜見物に行き、新緑見物に行き、藤見物に行き、バラ見物に行く、という行動をしているなあ。行くとそこにはご年配の方が大勢いらっしゃる。若い人もいるけれど、多くはないみたいだ。要するに、私の方が年相応になっているってことだろう。

 鎌倉文学館の薔薇は背が高くて、密度が濃くて、バラ園の間の遊歩道は狭い。なんだかウォーリーを捜せのように人の頭がバラの「まにまに」見えている。コンパクトデジカメをワイド端にして手を目いっぱい上に伸ばして何枚も写真を撮ってみた。

 文学館の企画展は太宰治。全ての解説や展示物をじっくりと見学。

 鎌倉文学館のあと、電車を乗り継いで横浜の、みなとみらい線町中華街駅まで移動し、Mと合流。中華街接筵で昼食。黒酢焼きそば、ジャジャ麺、焼き餃子。食事後に港の見える丘公園まで歩いてみる。この公園に来たのは二十年とか三十年振りではないか。港を見下ろせるあたりの広場やベンチや手すりや屋根の(要するに展望台のぜんぶの)レイアウトが記憶とまったく違う。これは?大規模工事があったということなのか?それとも記憶のすり変わりがあったのか?港の景色も、高速道路が沢山出来て、みなとみらい地区の再開発があり、すっかり変わってしまった。むかしよりごちゃごちゃしている感じなのだった。オフコースが「秋の気配」で歌ったときとは違う公園になっているということですね。

 この「港の見える丘公園」内にもローズガーデンがあった。
♪最終バス乗り過ごして もう君に会えない
あんなに近づいたのに遠くなって行く
だけどこんなに胸が痛むのは
なんの花に例えられましょう?♪
くるり「バラの花」より


単純な生活 (講談社文芸文庫)

単純な生活 (講談社文芸文庫)