五月の日曜日は


 気温が23℃前後で、湿度は高くなく、吹く風はそよ風で、綿雲が浮かぶ水色の空。若葉は少し濃くなった。こんな日の午後に、弁当を食べてから、読書をしたり、iPODで音楽を聴いたり(それも甘いケーキのようなビーチハウスでした)、昼寝をしたりするのは至福です。国立競技場からサッカーの応援の声がそのそよ風に乗って聞こえてくる。かくれんぼ遊びの5歳くらいの男の子は私たちがシートを敷いたすぐ後ろの桜の木の影に隠れたけれど、その場所は絶好過ぎて、いつまでも鬼が見付けに来てくれない。彼はとうとうしびれを切らして、こちらから大声を出して、鬼に居場所を知らせるのだった。アツアツのカップルの振る舞いは見ないことにして、さて「いい旅を、と誰もが言った」の四編目の小説で出てくるカメラマンはものすごい速度で迫ってくる日食の影を撮るのだが、片岡さんの頭の中でも読者も、この小説が書かれた1980年の当時、とうぜんフイルムカメラを想定しているのだな、というかそれしかなかったのだな、と思って驚いたりする。読んでいるときは、そんなことは考えもせず、デジカメで露出確認をしながらも秒間数コマの連射で何百枚と撮っているという場面を想定してしまった。フイルムだったとしたらこの場面のカメラマンの一撮入魂的な集中度はすごいことだろう、などと、1980年には絶対に思いようもなかった感想を持った。しかしこういうのは「便利になった」と言うのだろうが、ある意味では「標準が変わった」というだけのことで、便利ということとは違うのかもしれない。

ユリノキにはチューリップのような花が咲いている。その大きな木陰の中にだけ大勢の人が座ったり寝転んだりしている。

 帰り道に花園神社のお祭りに行き当る。細い参道の両側に出店が並んでいる。

Bloom

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