海へ


これまたどこかの古本屋で買ったままずっと読まないで未読本タワーを構成していた岩波文庫中谷宇吉郎随筆集」を、やっと読み始めた。正確には、一度読み始めて、つまらなかっという理由ではなく、同時に何冊かの本を併読しているうちに読み終わらないまま忘れてしまい、タワーに戻って行ったと思われる。
 そのなかの「『西遊記』の夢」と題する随筆のなかに、こんなことが書いてあった。明治40年前後、中谷博士が少年時代のことのこと。
『家の中には科学はおろか、およそ近代風の物の考え方というものは少しもなかった。本当のことを信ずるという現代の人たちには、本当でないから信ずるということまでは理解出来るであろう。しかし本当とか嘘とかいうことと信ずることとが完全に乖離した考え方はちょっとむつかしい。私が小学校時代を過ごした家には、あらゆる意味で、現代風な物の考え方というものは全然なかった。そういう所では孫悟空は、自由にその金こ棒をふるうことが出来たのである。』

 この前後を引用しないとよく判らないけれど、さらに科学が(良い意味も含め)「はびこった」2013年において、その結果として生物としての人間が本来持っているべき、理解不能ゆえに崇めたり怖れたり覚悟したりしていたことが出来なくなっている(あるいは安易にやり過ごす気分になれてそういうことに真剣にならなくても済むようになっている)。でもその実、「科学の進化」は、生物としての人間の進化の時間の中では、あまりにも急な環境変化で、さまざまな破たんや矛盾を招くのだろうな。

 この随筆が書かれたのは昭和18年

 都会に住んでいても、川原に降りたり、浜辺に行ったりした、わずかな瞬間に、「現代風な物の考え方」をひっくり返されるようなもっと原初的ななにかがよぎるような感じを受ける。子供のころ、こんな風に、波打ち際からほんのくるぶしかせいぜい膝までの深さだけでも自ら海へと入っていくときに、一瞬の孤独のかけらのような気持ちがして、それは魅惑的であると同時にちょっと怖くて、とくに泳げない私はすぐに砂浜へと戻るのだった。

中谷宇吉郎随筆集 (岩波文庫)

中谷宇吉郎随筆集 (岩波文庫)