海辺の、


 毎日飲んでいる不整脈の薬がなくなりそうなので、起きてシャワーを浴びてから、8時半すぎにいつもの医院に行ったが、「6月29日は学会のために臨時休診です」の張り紙。帰宅して、白黒写真を色転びせずにプリントしてくれるネットプリントショップはないかな?と思って検索してみるが、意外にもなかなか見つからない。昔ながらの暗室作業をするか、そうでなければ、顔料インクのプロフォト用インクジェットプリンターを使うのがよいようだが、でかくて高価なプリンターを購入するのは逡巡してしまう。春に森岡書店で開催したニセアカシア写真展で展示した写真をもっと高品位にプリントしたいのだが。あの展示では色が赤方向に転んでしまっていて・・・

 最近のアサヒカメラを読んでいると、古い写真が掲載されているページが目につく。先月号は鷹野隆大氏の連載で写真家のお父さんが撮った海水浴の写真などが掲載され、記憶と写真の関係に関する鷹野氏の考察が載っていた。今月は女性写真家の安珠氏がやはり子供のころの自分が写った写真から何かを書かれていた(ちゃんと読んでません)。ホンマタカシの「今日の写真」のゲストは高梨豊氏で、そこでも、撮られてから時間が経った写真の魅力について話がされていた。そういう写真を「時まぶしの術」とか言っている、だったっけかな?肝心な「」内が正しいかどうか?あやふやになっているのだが、まあ、そんなことを高梨さんが言っている。

 昼前に実家へ。昼食を食べ、少し昼寝をしてからコンパクトデジカメをぶらさげて散歩に出る。平塚市と大磯町の境を流れる金目川河口は国道の新しい橋の架橋工事中。二車線化するための橋。蒸し暑い。波打ち際から砂浜をはさんで、海岸線に平行に作られた防波堤の上の歩行者と自転車用の道を歩いて行くと、ジョギングの人が追い越していくから、ついつい気まぐれでのたのたと200歩くらい走って、少し息をととのえて、また200歩くらい走る。大磯は日本初の海水浴場だったのではないか?砂浜のすぐ近くを高架の西湘バイパス有料道路が走っている。その高架下に海の家が組み立てられつつある最中だった。ということはまだ海開きはしてないのだが、ぼちぼち泳いでいる人もいる。海水浴場と漁港の船溜まりを分けている突堤に行ってみる。漁港の突堤の、それも船溜まり側に釣り糸を垂れているカップルや子供や家族連れの人たちはいたってのんびりして見える。釣果に対する欲目もなくて、のんびり過ごすことの価値を知っていらっしゃる感じ。のんびりと休日を過ごしたいと思う一方で、有効に休日を過ごしたくて、のんびりが有効だという当たり前になかなか気が付けず、次々といろんな欲目を「こなそうと」四苦八苦して疲れてしまう、私の休日はいつもそんなではないのか?と思ったりして、釣りをする彼氏の横に斜め座りした黒い日傘の女性がくるくると傘を回す姿が「風景」だなあと思う私でした。AMラジオから古い映画音楽が流れている・・・って、流れていたのを確認してないけど・・・きっと流れているのだ、そういう突堤のどこかで。モンローがno return, no returnとか歌うのだ。ドリス・デイケセラセラを。フランソワーズ・アルディが「さよならを教えて」を(これは映画音楽じゃないかな)。

 突堤に座って「かぶと岩」の方を見ていると、男が一人、クロールで「かぶと岩」の回りを泳いでいるのが見える。つげ義春の「海辺の叙景」を思い出して、あのマンガのカット割りのような写真が撮れないものかなと思って、ズームをいじるがうまくいかないまま、男は泳ぎ去る。
 今年87才か88才かになるおじさん(父の兄)を後部座席に載せて、どこへ向かっていたのだろう?十数年前だろうか、車で前述の西湘バイパスを運転したことがあった。そのとき、おじさんがこのかぶと岩を見つけて、戦争が始まる直前の夏休みに友達と大磯に来て、あの岩まで泳いだ、ということを話した。いや、こんなのもあやふやな記憶なので正しいのかどうか。
 母から、そのおじさんが手術をして入院したという話を聞いたので、夕方になって家に帰ってから電話をしてみる。するとおじさんが電話に出てきたのでびっくりした。昨日退院したばかりだと言うことだったので少しほっとする。

 漁港の突堤から、歩いて国道一号線を渡ると、カフェ「マグネット」のすぐ近くだったので珈琲を飲む。飲みながら、スマホでバスの時間を調べたら大磯駅から実家近くのバス停留所を通るバスがあと5分で出ることがわかり、それを逃すと一時間ないことから、あわててカフェを出て、住宅地の坂道を走った。走りながら、なんだか「のんびり」するのは自分には難しいものだな、と苦笑。 

 上の写真は+1.3段の露出補正。はやりのオーバー写真に感化されているなあ。下の写真は実は上の写真の一部です。