kitte


13日、午後になってから恵比寿の東京都写真美術館へ「日本写真の1968年」展を見に行き、そのあと東京駅に行き、先月オープンしたkitteという商業施設に行ってみた。東京都の中央郵便局の建物を高層ビルに建て替えるときに、自民の方のはとやま議員が、歴史的建造物の建物を残すようにという方針を出して、それで最前面のファザードに昔の建物が残っている。うしろに高層ビルを控えた前面にある古い建物(の表層およびイメージ)を残したところがkitteという六階だか七階だかがレストランで、それまでの階は文房具とか服とか、木工小物とかブックカフェとか、比較的小さなスペースの店が並んでいて、全体に「カワイイ」のである。日本ブランドの「小ささ」の「カワイイ」が全体に行き渡った感があった。
 このあたりは戦前に建てられた「近代建築」のビルとして、日本銀行協会のとんがり屋根のある建物や、工業倶楽部の建物、ほかに丸ビル新丸ビルなどがあった。1990年ころにちょっと流行していた「建築探偵」の本には多くの建物が紹介されていた。有楽町まで行けば大阪ビルとか三信ビルとかもあった。それらの建物は全部建て替えられたが、こういう風に表面の顔だけ残す手法を取ったビルの中ではこのkitteのビルがいちばん以前の建物がそのままに生かされている思う。背景の(実は本体の)高層ビルまで入口から距離があり、その新しいビルのデザインが目立たないという理由のように思える。銀行協会や工業倶楽部は表面だけこそぎとって貼りつけたという感じがしないでもない。
 丸ビルや新丸ビルは、以前の意匠のイメージを残したということだろう。一方で東京駅のように戦前の建物に復元されたところもある。復元されてステーションホテルやバー・カメリアは敷居が高くなったかもしれない。三階建て復元までに時間がかかったので(二階建東京駅が六十数年も続いていたから)、二階建東京駅にまつわる記憶が多くの人に浸透していただろうから、しゃんと復元して敷居が高くなるより、ずっと二階建の東京駅であって欲しかったと感じる人もいるに違いない。
 丸ビルが建て替えられる前にはカメラを持って、階段を上っては新しい階を一周してみて、また階段を上って一周して、と建物の中を歩き回ったことがあった。日曜日で事務所はほとんど閉まっていた。ドアの下の隙間に配達された業界の専門誌が挟まっているところもあった。ドアのノブとか階段の手すりとか、そういう細部に残る時間の残滓が目を引いた。

 日本の写真1968は、底流に東松照明へのオマージュが流れているような展示だと思った。プロヴォークの中平卓馬森山大道高梨豊の写真は何度見てもカッコいい。反体制の時代の中でこの写真家たちに反体制側の思想があってそれが写っているのだろうか?たしか森山大道はいつぞやどこかで聞いたトークショーで「僕はノンポリだった」と言っていたと思うが、一方で「同時代でそこにいたのだからそういうものが写っているだろう」みたいなことも言っていたような気もする。
 牛腸茂雄の写真は、シャッターチャンスの妙です。「self&others」ではなく「日々」の写真が主に展示してあったが、ゲーリー・ウィノグランドを思わせる、スナップの「妙」をもたらす技。
 展示には1968年に開催された「写真百年展」で展示された写真も多く展示されていたが、このコーナーは二重のからくりのようで、1968年を理解する仕掛けとして私には判りにくかった。
 学生の写真連盟みたいな集団が個の無名性を貫きつつ国際反戦デーを複数のメンバーで撮った記録の写真が面白かった。すさまじい熱気が写っている。そして最後に「太陽の鉛筆」につながる旅に出た東松さんの写真で展示が締めくくられる。展示をずっと見ていると、1968年という反体制の年そのものが大きな物語となって迫ってくるようで、いやいやまじに泣きそうになってしまったのでありました。
 私はその年11歳でテレビに映る紛争の映像を見た記憶がかけらのようにちょっとだけあるものの、それらとは縁の少ない地方都市で普通の小学校高学年を過ごしていた。
 ときどき、あと五年か十年か早く生まれていたら、どういう経験をしていたのだろうか、と思うことがあった。最近はそんなことは思わないけれど。ビートルズのrevolutionという曲は、革命を望むか!という歌詞ではじまるのだろうが、タモリ倶楽部空耳アワー的に聞くと「say you want a revolution 」のところが「さよならレボリューション」って聞こえる気がする。それに気付いて以来、自分は「さよならレボリューション」世代だと思っていたことがあった。