角の煙草屋までの夜の旅


 24日、早朝3時に寝苦しい感じで目が覚める。トイレに行き、また布団に入ったがもう眠れないのだった。しばらく暗闇の中でじっとしていたが、寝るのをあきらめて部屋の電気を付けた。枕元に未読の本(のほんの一部)が積んである。一番上に昭和54年第一刷発行の講談社の単行本、吉行淳之介著「街角の煙草屋までの旅」が見えた。いや「見えた」と言っても、とうとう見えたわけでも、やっと見えたわけでもなくて、いつも見えている。いつも見えているが見えていてそこに注意が向かないほどいつもそこにあった。たしか震災の直後くらいに平塚の古書店で買った本だと思う。それ以来、一番上に出てきたり引っ込んだり、いずれにせよ積読タワーのひとつのピースになっている。早朝の3時にその本を手にして、表題になっているエッセイを読んだ。
 吉行はヘンリー・ミラーの「ディエップーニューヘイヴン経由」という小説を取り上げて紹介する。そこには
『私たちが飲み屋や角の八百屋まで歩いて行くときでさえ、それが二度と戻って来ないことになるかもしれない旅だということに気が付いているだろうか?(中略)そこの街角までとか、ディエップなりニューヘイヴンなり、どんなところへでも、小さな旅をするあいだに、地球のほうも、天文学者さえも知らないところへ小旅行をしているのだ』ということが書かれているそうだ。そして吉行は、このミラーの文章を自分なりに「都合よくねじまげて」解釈して『「街角の煙草屋まで行くのも、旅と呼んでいい」ことになる』と書き、そこから、自分が旅先でも住んでいる都会を歩いているときでも「眼のつけどころは同じよう」と分析していて、以降、過去の旅行で見た風景や好きな風景のことが語られていく。
 これを私なりに解釈すれば、風景を見るときの見方や嗜好や人それぞれのものであって、だからどこか遠方に旅行しようが近所であろうが、どこをどう見ているかは変わらないのではないか、ということと、もうひとつは圧倒的にきれいな決定的風景(想像を絶する夕焼けなど)を見て「おや」と一目だけ見るが、まあそれはそういうものである、と一目で十分だと言っているようだ。
 さて、須田一政には「角の煙草屋までの旅」という写真集がある。三十年くらい前だろうか、カメラ雑誌に連載していた同名シリーズの写真を一昨年くらいにプレイスMが写真集にした。早朝、吉行の上記のエッセイを読んだ後、今度は本棚からこの写真集を久しぶりに取り出してきてめくってみた。もう明るくなるのはすっかり遅くなっていて5時でもまだ真っ暗だ。だから部屋の蛍光灯を付けて、本棚の上の方にある写真集を爪先立ちをして引き抜いてきた。
 須田一政は写真集の最後に短い文章を寄せている。そこには近所の(角の煙草屋までの)外出であっても、カメラを持つと風景を見る目が研ぎ澄まされて、その日によって風景が違って見える、というようなことが書いてあった。
 以前より、旅に出た最初の一枚(または数枚)は新鮮な気分や視点、すなわち高揚した感じがもたらす好奇の目が見付けた風景が写っていて、後日になって見ても自分で好きな写真が撮れていることが多いと感じていた。だけど私の場合はそんな高揚した気分が、どうやらあまり持続できないようで、一枚または数枚のあとにはそういう写真が少なくなってしまう。須田一政やもしかしたら吉行淳之助のように、近所や住み慣れた東京の中であっても常にどこかになにか新鮮を見ている、見つけている、のはすごいなと脱帽する。そういう外界との接し方が継続できれば惰性にまみれることも少なく毎日は、刺激的かもしれない。
 ところが、以前須田塾でF氏と話していて、F氏の場合は旅先で写真を撮るときには日常からの「脱皮」のようなことが必要で、その「脱皮」のために最初の数枚は浪費(という単語は使わなかったと思うが・・)して、そのあとからいよいよ旅の自分が確立されて、写真行為に熱中していくのだと言っていた。どうも私とは違うな、と思ったものだった。
 早朝にそんなことがあったからか、夜の八時すぎにカメラを持って近所を歩く。健康のためのウォーキングといった都合の良い解釈もくっつけて。夜であることは若干のバイアス効果があるようで、近所であってもカメラを向けたくなるところがそれなりに見つかるのだった。
 最近のデジカメはISO6400とかも平気に高画質で、さらに手振れ補正機能のおかげで、ちゃんと構えれば1/2秒とかでもぶれない。夜の旅にはもってこいになっている。


 煙草は吸わないが、しかも夜なので店は閉まっていたが、煙草屋はありました。