身体性って


 東京都写真美術館へ。11時少し前に、受付で、15時開始の須田一政×鈴木理策トークショーの入場整理券を受け取る。すでに32番目だった。そのあと、地階で展示中の写真新世紀2013展を見る。優秀賞の五作品を展示/ブックを順に見ていく。優秀賞の水野さんという方の「制作意図」に書かれている文章には、(近所をカメラを持って散歩中にお年寄りに声を掛けられたことにより)「見知らぬ土地にいる様な気持ちになり」そして「写ったそれは少し寂しくてワクワクしていて世界中のあらゆる場所に似ていました。」と書かれている。この水野さんという方の文章は、写真の「制作意図」というより、撮るときに起きた気分の吐露であって、しかも、たぶん写真を撮る人の多くが共感することだろう。その、本人いわく「寂しくもワクワクする」写真が、撮影者だけでなく鑑賞者にも伝わるか(鑑賞者の感情を掻き立てるか)、そうは言っても結局のところは独りよがりの表現に終わっていないか、が重要なのだろう。と、こう書くと、ある種の写真の王道のアプローチである(グランプリを争うものなのだから、言い換えると「挑戦」「勝負」である)。作品名は「よそからきた」。
 同じく優秀賞の鈴木さんという方の鳶職を撮った写真は力強い。シンプルで骨太というか。鳶の人たちが数人並んでいるぼけた写真を見ていると、そこからピントが送られてピントが合っていくような「動画」の未来が予感させられるような、今のここからさらに先へ、といった力だ。
 先日、1WALLのファイナリスト6の展示も見てきたが、写真新世紀も1WALLも、写真らしい写真による「写真の力の確認」といった感じ。ちょとだけ原点回帰の感じを受ける。
 写真新世紀昨年のグランプリの原田さん新作「見るになる」、この方の昨年の「制作意図」はとっても内向きな撮影理由があったように思うが、それに反して(?)あるいはその先に辿りついて(?)、この展示もまた写真が外に発する力があって素晴らしかった。

 須田さんと理策さんのトークショー。先週の須田さんと林さんのトークショーに引き続き二週続けて須田さんのトークショーを聞いた。須田さんの話は先週の高揚感を引きずったままさらに話が進んでいく感じ。

 トークショーのあとに、須田さん理策さんの打ち上げに参加させていただく。身体性という言葉が出る。身体性のある写真だか、身体性の写っている写真だったかな、そうでなければならないというようなお話。私は「身体性」という単語がよく判らない。使ったことがないから身に染みてわかっていない。
 そういえば「叙情」という単語もよく判らない。何年か前に須田塾で須田さんと林さんが、私の写真とほかの誰かの(誰だったか忘れてしまいました)写真を見比べて、似ているところがあるやなしや、という話を始めたことがあった。そのときに「(岬さんの)写真の方が叙情的だ」と須田さんに言われたが、せっかくのお話なのに意味がよく判らない。辞書を調べると
「叙情;自分の感情を述べ表すこと。」
とある。感情が写真に写っているとおっしゃっていただけていたのか。

 昨晩、身体性ってどういうことですか?と聞いてみたら、理策さんは例えばこうして誰かに殴りかかろうとするとそれを防御するように反応するでしょ、と言ってそういう姿勢をとって説明してくれた。写真に撮る光景が写真家に働きかけたこと(といっても光景はただそこに展開されていることだから、すなわち、光景から働きかけられたように写真家が感じたってことだろう)に、写真家が感情を刺激されて、それが写真に写っているとか写真から感じられるとか、そういうことなのだろうか。

 ちなみに「身体性」と入れて検索エンジンの辞書機能の国語辞典で調べてもその単語は辞書に採用されていないようだ。ウィキペディアでは「身体性」のページは準備されているがほとんどその解説が記載されていない。そのくせ「身体性」という単語を使っている文章はたくさんあるようで、その単語を私はこう解釈しているよと表明しているようなブログページがあったし、もうその単語の意味はみなさん知っていますよね、という前提で書かれているページもたくさんあるようだった。
 英語のエンボディメントは、身体性でなくて身体化だろう。身体化は、抽象を具体的なものにするということらしい。とか書いているとますます判らないが、思い切って雑駁に解釈して早々にこのことを考えるのをやめてしまうとしたら、要するに写真(=具体的な映像)からなんらかの感情(=あるいは抽象的な感覚)が立ち上がる(否応もなく立ち上げさせられる)ってことでしょうか?ひっくり返して言えば、抽象的なものを具体的な映像に投影している。・・・安易だね・・・

 ところで、なんの脈略もなくいきなり日の丸構図のことですが(上の写真もそうですね)、日の丸構図になるのはAFの測距点を中央一点にしていて、半押しでピント合わせ後に構図を作るなんてことをやらない(あるいはノーファインダーだからそういう細かいことはやれない)といった理由があるかもしれないが、そんな理屈以前にいつのまにか私は、日の丸構図がいいと思うことが多くなっている気がするし、そのせいで自分の撮る写真もそれが多い。といったことに気が付いた。これはよくないのか?