詩の朗読を聴く


 クリスマスイブの夜にスーパーマーケットに行ったら、ローストチキンがひとつ398円でものすごくたくさん、山積みになって売られていた。子供のころ(小学生のころ)平塚駅前の肉屋の店先でガラスばりの大きなオーブンの中で、「鳥の足」(と言っていた)が焼かれながらぐるぐる回っていた。あれは、ごくたまに買ってもらうと嬉しかったな。最高のごちそうの一つだった。バナナや「鳥の足」は、大変なご馳走だったから、いま、バナナや「鳥の足」が安く、大量に売られているのを見ると、なかなかに慣れなくてびっくりする。

 先日、CDが積みあがっているタワー(本だけでなくCDのタワーもあるのです)やら、一応棚にしまってあるCDから吉川忠英の「イリュージョン」のCDを捜したが見つからず、その代わりに、いくつか最近聴いていないCDが気になって、そういうのを何枚かiPODに録音した。その一つが、十年ほど前に茅ヶ崎駅南口から歩いて五分くらいのところのギャラリーで詩人・吉原幸子の草稿展を開催中なのに気が付いてふらりと入ってみたときに「おみやげ」にいただいた、吉原幸子が朗読したり自作解説をしている、たぶん「自作を語る」といったイベントがあってそこで録音されたものが入っているCD。素敵な落ち着いた声だった。今更ながらウィキペディアを調べたり画像検索をしてみたら、とても美しい方だった。
 風呂場の前で母と息子が風呂から上がってくるのをタオルを持って待っていた、その息子は大人になり、母は故人になり、私はもう誰も待てない、なんてことが朗読されていた(か、解説の中でそういうエピソードを話していたのだっけかな)。そこに時間の流れることを思わずにいられない、とCDを聞きながらそう私は思ったわけだが、そう言った吉原幸子さんもすでに2002年に故人になっています。
 今日は吐く息が真っ白となる寒い夜。

 同じくきょんきょんの「トラベル・ロック」というCDも出てきた。表題曲の詩のなかに「8mmのカメラで、瞬間を切り取り、心臓が持たないほど、感じたいの、ずっと」というフレーズが出てくる。8mmのカメラというのはムービーカメラなのに、瞬間を切り取る、とつながるのはどういうことなのかな。ここでいう「瞬間」は静止画が記録する瞬間よりも、もう少し長い、数秒から数十秒の動きを含む小さなエピソードや、あるいは「見渡した」とか「見回した」というような行為の短い時間をイメージしているのかな。考えすぎか。
 まさか須田さんが一時期やっていた8mmフイルムから駒を選ぶことにより意外性をあとから見つけていく静止画作成手法なんてことはないだろうし。

TRAVEL ROCK

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