ポテトサラダパン


 茅ヶ崎に住んでいて、たまにちょっと美味しいパンを食べたくなるときに思い浮かぶ店は、モンべランジェとかタイゾーとかモキチとかコナヒキドウとかナノッシュとか、本当はカタカナじゃないかもしれないこんな店を知っている。別にパン屋さんに詳しかったりパングルメだったりではないから、市内にはまだ知らない店が他にも何軒も有るのだろうな。私がよく行動する、すなわちは散歩ってことが多いけど、その範囲ではこんな店を知ってるってことだ。以前は、というのは既に十年かもう少し前、鉄砲通りと呼ばれる海側の、国道134と平行に、海よりも一本北側にあるバス通りに面してOというパン屋があった。私の上の子供が、幼稚園か小学校の低学年だったから、もっと前かな。20年前ってことにはならないだろうが。
当時は子供は、特に上の男の子はお父さん(すなわち私です)と外で、サッカーごっこでもなんでも、とにかく身体を動かして遊びたくてしょうがない。私は、カメラをぶら下げてどっかでスナップ写真を撮りたくてしょうがない。では、自転車の籠に子供用のボールを入れて、自転車を連ねて、いやもしかしたらまだ子供用のシートが荷台に取り付けてあり、そこに子供を跨がらせ、子供とボール遊びをしつつかつその合間に写真も撮りに、茅ヶ崎の一中下と呼ばれる辺りの海岸のボードウォークや、茅ヶ崎海水浴場の砂浜やらに、日曜日となると、出掛けた。9時くらいからやっていた、にっぽん昔話、と、それに続くアニメを見てから出掛けたから。10時半とか、11時に。その砂浜に行く途中に、小さなパン屋Oは、比較的に新しい雑居ビルの一階に、それまであった何かの店、服屋だったかもしれないな、その後に出来た。なにやら聞いたことのないカタカナの名前が付いたパンもあったかもしれないが、私はその店のポテトサラダパンが大好きになった。だから、日曜日の遅い午前に子供と砂浜に、ボール遊び件写真撮影に行くときに、Oでポテトサラダパンを含む何個かのパンを買って行き、遊びが一段落したら、砂浜やボードウォークの端っこに親子で並んで座り、食べることが楽しみになった。
しかしOというパン屋は、数年の内に店を畳んでしまい、ある日曜日にはもうなくなっていた。眼鏡をかけた小柄な店主や、少し太ったおばさん、四年生くらいの母親によく似た女の子がいたが、最後にポテトサラダパンを買ったときに、もう店を畳んでしまうことなどなにも告げられなかったから、それでもう彼等と会うことが無くなるなんて、当然、思わなかった訳だ。Oの経営ががあまり上手く行ってないらしいのは、あるときに店主から、車に商品を積んで出張販売を考えたいのだが、××町の方に、近くにパン屋のないマンションはないだろうか、と聞かれたときに気が付いた。××町というのは私の家の辺りで、Oからは二キロか三キロは離れている。ボール遊びとスナップ撮影の両立のために、毎週末ではないにしても、それだけ離れたパン屋にしょっちゅう行っていたのだ。実際、Oは、私の住んでいる××町の隣の△△町に週に一度か二度は出張販売に来ていたようだ。
それが私がOに行った最後に行ったときだったかどうかまでは正確には覚えてないが、店主の眼鏡のフレームがひしゃげていて、レンズもベタベタに汚れていたことがあった。こんなのは勝手な想像に過ぎないが、店主の醸し出している疲労感のせいか、大変に失礼だが、店主は借金の取り立て屋に殴られでもしたのではないかなどと思った。
店がなくなってから暫くして妻がどこかから、Oは店の近所の家々と折り合いが悪く、受け入れられないままだったと言う噂を聞いてきた。店を出したときにも挨拶がなかったとか。挨拶がなかった前段に、何かもっと決定的な理由があったのではなかろうか。それとも私の(家の)味覚がおかしくて、Oのパンは美味しくはなかった?
家の近所に公園が出来たこともあったし、子供が成長して、父親の出番が減ったこともあったのだろう、そういう変化が起きていることは、実は唯一の理由として残っていたことにいざなくなってから気が付いたのがOのポテトサラダパンで、これが食べられなくなり、もう日曜日に子供と砂浜に行くことはしなくなった。
19日の日曜日。昼前後には実家の母の様子を見に行き、午後の3時過ぎに、自家用車で帰ってきた。色々とイライラすることがあって、自家用車で帰宅したらすぐに、デジタル一眼レフに50mmのレンズを付けたのを持って、散歩に出た。さっき実家から戻るときに車から見えた、住宅街のなかにある、いや後から住宅街が迫って来たのだろう、砂や土や砂利が種類ごとに小山を作っている置き場と、そこにおかれた錆び付いた、鉄製の何か。何かはショベルカーのショベル部よりさらにでかい。そこに西日の当たってる風景。オールドカーの再生工場の隣にある駐車場で、カバーが掛けられているがそれでも車体の全体の形から、オールドカーとわかる車たちのある風景。バイパスの下り口辺りで車線を増やすためか道路を伸ばすために作りかけのハイウェイを支えるコンクリートの太い柱が枯れたすすきの原に立っている風景。そういう場所を目的に一応設定して歩いたが、もう少しで日がくれるところまで太陽が傾くと、そういう美しかった風景は味気なくなっていて、でも代わりに違う風景が気になったりした。そんなこんなで相模川の河口から、砂浜のずっと見下ろせるサイクリング及びウォーキングのための道を東へ。その頃にはもう日は沈み、箱根山や富士山の山の稜線にオレンジ色が残り。東に向かって歩くと、すれ違う西に向かう犬の散歩の人の赤や黄色のジャンパーを、そのもう沈んだ太陽の残りの山の稜線を照す程度の光でも、間接照明のようになりながら照すから、ジャンパーが浮き立って見えて、それもきれいだった。
途中で歩数を200までと限って走り、歩きに戻し、暫くしてまた200歩走ったら、暖かくなった。
最初に書いたナノッシュというパン屋の辺りを通ったので一度行きすぎてから戻ってパンを買った。ナノッシュは、湘南をローマ字にしてshonan、これを逆さに読んでナノッシュだというのが名前の由来だと聞いたことがある。買ったのは、りんごと紅茶の田舎パン、フィグ&カマンベール、クランベリーとホワイトチョコのベーグル。最後のは娘が食べるかなと思って買った。ここのカマンベールのパンが私は好きだから、たまに来ると買う。
ナノッシュでパンを買ったことから、Oというパン屋のことを思い出したのかもしれない。
日の暮れた後の、山の稜線を赤くしている程度の最後の日の光の名残が、それでも西を背にして東を見るとカラフルなジャンパーや砂浜近くの工事現場のオレンジや黄色のショベルカーやの明度があるところをだけ浮き立たせているのは、そんなのは短い間のことで、でも闇たる夜とは明らかに違っていて、逢魔が時とはよく言ったもので、それは魔物に逢ってさらわれるというより、空間全体がなにかを孕んでいて、自ら虜になっていくようなのだ。こんな時間に町の明かりから少しだけ、ほんの防砂林の幅だけ隔たった、街灯のないところを歩いて、そんなファンタジーを感じた。
ファンタジーはときには暗くて黒くて、時の流れの哀しさよ、とかも感じて、それでも美しくて。突然なくなっていたOのことを思い出したのも、その闇のせいかもしれないのだった。



茅ヶ崎海岸のこの場所から写真を撮ると、後ろにある建物の灯りの色温度のせいなのか、砂浜が黄色く写る。