ゆきかき


金曜の夜に降り始めた雪は、土曜日のうちには降りやまず、曜日が日曜になった深夜になってやっと降りやんだ。日曜の朝の8時過ぎにカメラを持って出る。何年か前にシュープラザでかった、防水性に優れるっていう謳い文句のハイドロテックの革靴は、たまたま不良に当たったのか、まだろくに使ってないうちに、底も減ってないのに、ある雨の日に左足だけ雨が沁みてきて、なんだダメじゃんて思ったまま、それでも捨てないで、でも使いもしないで何年か北関東U市に平日にいるときの木造アパートのじめじめした感じのある玄関というか、いやそんなだいそれたものじゃない入口の備え付け靴箱に入れておいたらうっすら黴が生えてきた。それに気が付いて捨てようかとおもったが、たいして痛んでないし、今となっては数年前に雨が沁みてきたのも本当かな?そんなにすぐダメになるのかな?と、妙に好意的な期待が生じたので、昨年の秋に、まずキィウィオイルでこすって黴を取り、それから黒の革靴用の、千と千尋の神隠しの「顔なし」の顔の部分がスポンジになってるような形の、ああいうのもクリームというのかな、クリームという感じからするともっと粘性の低いさらさらの速乾絵の具のような艶の出るのを塗ったら、少なくとも外観は新品みたいになった。主力のビジネスシューズは、リーガルウォーカーのビジネスシューズタイプの軽い奴だが、雨模様のときには、この復活したハイドロテックの靴を使っていた。昨秋から。復活した最初の日は靴クリームの匂いがぷんぷんしていて、その日たまたま上司と二人で会議室で何かの相談事があって、そのときに会議室中に靴クリームが匂ったが、上司はなにも言わずほっとした。それで、復活後に雨が沁みてきたことはなくて、なんだOKじゃないかと思っていた。今朝は昭和44年て言ってたかな、それ以来の積雪だったから、ま、滅多にないことでもあるし、じゃぁカメラを持って散歩して、最後は砂浜が一面に雪で真っ白になった茅ヶ崎海水浴場の、夏には海の家が建つ辺りに行き、多分そういう広い面積が雪でいっぱいの場所はあまりないから(実際には学校の校庭とか茅ヶ崎中央公園とかがあるのだが、そのときには思い浮かばず)真っ白い雪原の中にカラフルなダウンジャンパーを着た大勢の子供たちが、あちこちで雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりで、それはそれはきれいな光景が見られるだろうから、そこを撮ることにしようなどと妄想的な計画を立てて出かけることにした。このブログにも時々書いているように、部屋の中が、長年の間に累積した本とCDを主に、その他の様々なもので溢れていて、整理の必要がずっと自分の中で、叫ばれている。それが、慢性的に続いている。そんな状態なので、いろんなものを捨ててきた。高校のときに、初めて買った、ろくに鳴らないK.Countryブランドで一番安かった14000円のギターは昨秋にとうとう捨てた。その前には例えば引き伸ばした写真に光沢滑面を施すフェロの機械も捨てた。ぴかぴかの金属板に写真の表面を密着させ、その板を、帆布のようなのを被せてぎゅっと引っ張り、その機械の発熱部、きっと中には電熱線みたいなのがあって、その熱が一方向だけ緩い曲面の機械の表面の金属部を熱し
そこに帆布で圧接されたぴかぴかの金属板と写真も、伝熱で熱くなり、湯気が上がり、ローラーでさらにごしごし密着させ、すると、ぴかぴかの光沢滑面の写真が出来上がる、その機械というか装置というか道具を使った作業をフェロ掛け、写真を密着させる金属板をフェロ板、と言っていたが、その道具一式も捨ててしまった。レーザーディスクの再生装置も捨てて、レーザーディスクだけが数十枚残っている。再生できないものを持っていても仕方がないから、近々ディスクも捨てるだろう。といった感じでもまだまだ断捨離には程遠く未読本タワーは増えて行き、寝る場所もままならない。そんなだから、釣り用のヴェーダーっていうんだっけか、ゴムかコーティングしてある長靴とズボンが一体になった、サスペンダーで吊って着るのももうないし、今度の雪程ではなかったのだろうか、1990年代後半にもかなり雪が降ったことがあり、そのときに、ライツミノルタCLに白黒フイルムを入れたカメラを持って今日と同じように歩いたのだが、その日に釣り道具のチェーンの、なんていう店名か、度忘れしている店で買った長靴も、その後ほとんど使う機会がないから、昨秋にすてた。大抵、捨てたら直後に、捨てなきゃ良かったな、と思う使用機会が訪れる。いや、これなんかは、そんな風に珍しい確率の偶然が棄てると起きる、みたいに感じるように人がそう出来ているだけのことで、あらためてちゃんと分析すれば偶然でなく当然なんてことなのだろうが、でも偶然と思っていた方が楽しい。いや、楽しいじゃなく、悔しい。や、悔しいがどこかに、あぁあ、なんだかなぁ、という諦めの感じには、楽しいというスパイスがある。というわけで、長々と書いてきましたが、日曜日の朝に、雪景色の街角スナップをするにあたり、履くべき靴は、すでに長靴なき今となっては、ハイドロテックのビジネスシューズくらいしか思い浮かばなかった。正しくはこれはもう10年かそこら、いや、もっと前かもに平塚のスポーピアで買った、オニールとか言うサーフブランドなのか、アウトドアブランドなのか、オーストラリアの?そこの、くるぶしくらいまである、ちょっとショートブーツみたいなのが、あるんだけど、これは、靴底を見る限りは、底に凸凹が少なく、雪道のグリップ力がなさそうなので、選ばなかった。
と、たかが靴の選択のことばかりで、ずーっと書いてきましたが、結論から言えば、さんざん雪道を歩き、時には溶けた水が轍に沿って水深数センチに川のようになってるところにも踏み込むと言うハードな使い方をしたと言う情状酌量の余地はあるものの、そしてそれは徐々にであり、例えば左の足の指が霜焼けになるようなレベルではないものの、やっぱり左だけ水が沁み込んできていて、帰宅して靴下を脱いで見たらすっかり濡れていた。なんだ、結局はダメなんじゃん。そんなわけで大雪に限らず来るべく天変地異に備えると、ずっと前に買ってから一回しか使わないまま何年も取っておいて、挙げ句昨秋に捨てたのと同じような長靴を私は近々にまた、買ってしまうかもしれない。
さて、予定通り行ってみた海水浴場の砂浜には、その時は10時位だったろうか、ほとんど誰もいないのだった。
だから、妄想的に期待したような場面はなく、写真も撮れなかった。
もうひとつわかったのは、砂浜の濡れて黒くなった砂と、溶け残った雪の白の両方をカバーする露出が極めて難しく、写真がことごとく気に入らない。アンセルアダムスのゾーンシステムの技を使ったとしても、フルサイズの比較的に階調の広いデジタルカメラをもってしても、そもそも階調が追い付けないのかな?もっともHDRや、RAWで撮っていじくるなんてことはやらないから、それがそもそも間違っているのか。

帰宅してから、Mと二人で出掛ける。そうだ、その前にはマンションの駐車場あたりの雪かきをしたんだった。たしか、村上春樹は、小説のなかの比喩で、雪かき(のようだ)、を使っていた。そんな気がする。いや、耳掻きかな?雪かきシャベルの柄が数年前の雪かきのときに折れてしまってすてた。砂浜からの帰り、雪かきの前、ヨーカドーやダイソーダイクマに寄ったが、雪かきシャベルは売り切れだった。だから、ダイソーで、ちり取りを買ってきた。もちろん105円。それで雪をかいたら、意外にさくさくとできた。
Mと茅ヶ崎駅の近くに最近にできた店で何種類もの珍しい野菜をたくさん使ったサラダが付いてくるパスタのコースを食べた。
昨夜、Tから電話があり、TSUTAYAで借りたら面白かったというデンマークの映画を教えてもらう。パスタのあとにそれを借りて帰ったが、今日は見ない。その代わりに、何となくテレビでオリンピックを見た。