小島一郎展 三島の鰻 沼津のブックカフェ


 写真は三島大社の神鹿です。

 最後の一回分残っていた青春18きっぷ(2014夏)を使って三島と沼津あたりへ行ってきた。主目的はクレマチスの丘にあるIZU PHOTO MUSEUMで小島一郎写真展「北へ、北から」を見に行くこと。三島駅9:40発のシャトルバスで10時過ぎに着。帰りのシャトルバス、11:15を逃すと、なぜか土曜日曜は13時台までない。そこでここに一人で来るときは、たいてい1時間写真展を見て、とんぼ帰りをしてしまう。もっとゆっくり午後から行けばいいじゃん、と思うかもしれないが、なんだか一日を有効に使いたいという、情けないような貧乏性のような思いがあって、そうはいかないのである。
 このまえANAだったかな、機内誌を読んでいたら、誰かのエッセイに『旅行に出るとその一泊二日か二泊三日の時間のなかで「あれもこれも見る」「あれを食べるしこれも食べる」と詰め込み過ぎてリフレッシュするどころか疲弊しているというのを読んで(エッセイのなかで著者がまた誰かの書いた文章言及しているわけです)そうだそうだと同感し、メキシコ旅行に行ったさいにどこにも行かないことにして何日かホテルで過ごしたが、飽きてしまい、旅程の最後の方になって見たいところに出かけた。最初からそうすればよかった。やはり旅先ではいろいろみるべきであった。』という主旨のことが書いてあった。そういうことなのである。
 小島一郎の写真を説明的に書くと「1950年代後半から60年代前半の真冬の青森や北海道で、過酷な環境の中に生きている人たちを撮った」となり、当時はそういうテーマ設定を「辺境もの」とか揶揄する風潮もあったようだ。想像するに、絶対非演出といった風潮、イコール、非演出で決定的瞬間を掬い取れるかどうかが写真価値、といったような時代に、その決定的瞬間の確率が高い「辺境」を詣でた写真があふれ、結果「飽きられた」ようななかでそういう被写体選択をそういう名前で言っていたのかな。いや、ここに書いたことは、なんの情報もないままの勝手な思い込みかもしれないが。
 しかし小島一郎は、そもそもが青森県生まれで、流行の被写体を求めて行ったこともない辺境をさがしたわけではない。そして、この写真展はいわゆるコンタクトプリントに相当する、トランプサイズに伸ばされた全駒を貼ったアルバムも並べられているのだが、そういう写真を見ると、ぎらぎらとあっと驚くすごい写真やいい写真を手に入れるという思いは、当時の行動や書き残したものを読むとそういう執念もちろん強かったのだろうが、この人の本質の部分ではきわめて優しいまなざしを持った人だったのではないかと思えるのだった。写真を見ての感想だから、具体的理由は説明できないんだけど。
 絶対非演出スナップの「大きな波」のなかで例えば植田正治の居場所がなかった(あるいは植田が悩んだ時期だった)なんてことも読んだか聞いたかしたことがあったが、小島一郎のまなざしも、時代が是としていた写真とはずれていて、それが最近になって再評価されているのは、今の時代が是とする写真価値なら小島の写真を評価できるようになった、ということなんじゃないか。森山大道が小島の写真を評価するのは、小島の写真が時代を突き抜けて今の写真価値が許容しているあるタイプの写真としては、結果として先鞭だった、ということかもしれない。時代を先駆けた故に木村伊兵衛らに酷評され若くして亡くなった小島一郎。もしかしたらそういうテキストとしての情報があったからそう思ったということで、純粋に写真を見ての感想ではないかもしれないが、失敗だったとされる上京していたときの「東京の夕日」シリーズに漂う悲しみのようなものが心に浸みる。
 木村伊兵衛の本郷森川町やら浅草電気ブランやら、あるいはカラーによるパリのスナップなど、神業のような構図のスナップで、不要なものはなにもなくムダがない、ってそれはそれですごいことであろう。しかしその価値が際立つのは撮られてからの時間がそれほど経っていないときで、数十年を経た写真は、そういうことよりそこに写ったカメラマンの個のまなざしと、いまはもうない時間が流れたことによる被写体の「決定的」性の増大があいまったときに特別に光りはじめる。そういうことを感じた次第であります。

 正午前、三島に戻り、三島駅は北口と南口を駅構内を使わずに行き来するのはえらく遠回りを強いられるのだが、今日は青春18があるので難なく南口へ行き、歩いて目指す鰻屋へ行く。鰻丼並3000円、美味しい。

 三島大社にお参りをし、街中を適当に気の向くままに歩き、伊豆急行電鉄で一駅だけ三島なんとか駅から三島駅まで乗って戻る。さらに沼津の、御殿場線にだけ駅があり東海道線には駅がない大岡駅へ電車で移動し、そこから歩いてネットを調べて見つけたので行ってみることにしたweekend booksという書店まで歩く。今日は久々に快晴になり、するとここ数日ずっと涼しかった気温がどうやらぐんぐんと上昇していて湿気もあり、汗が噴き出る。汗が退くまで書店内をうろうろ。なにも買わなかったがいい本屋さんでした。

 路線バスで沼津駅に行き、三島の街と同様にまたぞろカメラを持って駅の回りやアーケードのある商店街を歩き回る。途中入った古い喫茶店ではトイレの近くの席で漏れてくる芳香剤の匂いで珈琲が台無しになったり、これはもうゴミ屋敷と見まがうような、平積みされたタワーがさらに傾きながらお互いを支え合っていて通路が人一人通ることもままならないような古書店に寄って、ちくま文庫尾崎翠のアンソロジーを買ったのだが、この本を引っ張り出すときに上に積まれた本が崩れそうになってひやひやしたり。

小島一郎写真集成

小島一郎写真集成