届いたネガ


 父の撮った写真を掲載したニセアカシア4号をもう高齢のおじのお宅に送っておいたからだろうか、いとこ(おじのむすめ)が石川県金沢市の父の実家にあったという古い、主にセミ版で撮られたネガを、それが仕舞われた箱ごと送ってきてくれた。ネガは一コマづつカットされていた。家に帰ったら自室の机の上に大きな封筒が置いてあって、それを開けてみたら年賀状くらいしかやりとりのないいとこの短いメッセージ、だけど暖かさのあるメッセージだった、が添えられてその箱が出てきた。いま家にはブローニーをスキャンするスキャナーが壊れていて稼働不能。なのでとりあえず一番上にあった一枚を手にして、窓を背景に(外の明るさを背景に)デジカメの接写モードで撮影してみる(一番上の写真)。それをフォトショップで反転したのが上の下の写真。なんか青かったもやもやしているのは窓枠とか向こうの景色とかの影響、すなわちネガではなく接写のときに写りこんだものです。でもこういう写りこみも以上の行動の経緯の残像でもあります。
 さて現れた人物が誰なのか、私にはさっぱりわからない。撮られたのは昭和十年代くらいだろうか。すこしぶれているこの方の顔をじっと見ていると、きっとこの方が親戚なのだろうということとだけど知らないということと、いま存命なら相当の高齢であって亡くなっている方だとしても不思議はないのかもしれない(撮られた年がはっきりわからないから推測しかできない。もしかしたら意外と最近の写真で私と同年代の方なのかもしれないし)とか、そういう個人としての思いがこの人に対してなんか「他人ではない」といった感情が起きて、ぐぐっと来てしまう。
 送られてきたほかの駒を大事に写真に戻すことにしようと思います。