ファインダーの中で見つめている


 朝、8時前に家を出て、バスで茅ヶ崎駅北口へ。駅を越えて南口に行き、カメラを首から下げて、適当に道を辿りながら、なのでもし私が今風にGPSで自分がたどった道を地図上に示したりするマメさを持っていたとしたら、相当にジグザグで非効率で行ったり来たりの道順なのだろうが、そんなことはしないので判らないものの、とにかく多分だけど相当にジグザグで非効率で行ったり来たりの道順で辻堂駅まで歩いた。辻堂から電車に一駅だけ乗り、藤沢で喫茶「灯」でモーニングセットを食べ、いまここに来るまでに撮ったフイルムの現像が出来上がるまでの時間をつぶした。
 こういう写真を撮るときに、ファインダーの中で、水色やピンクやクリーム色のバス停留所の椅子の色がきれいだなと思い、その椅子のあたりでバスを待っている人たちの動きに注視し、なるべく平凡な一瞬にシャッターを押そうと狙っている。非決定的な決定的瞬間を求める。写真が出来上がってきて眺めると、撮るときに注視していたベンチや人々が「小さい」。人が注視しているとそこばかり見ているが写真は注視の意思は写らないから画角通りの写真が写る。それだからカメラマンは、主被写体だけでなく全体を見回して構図を決めて、そして多くの場合「一歩近づいて」写真を撮らねばならぬ!と写真教室では教えるのだろうな。
 でも、私としては、こうして主被写体が小さくなって写真が出来てくるのが、これが楽しかったりするのです。これ以上、大きく写っていて欲しくないな。

 半分読んで、いつのまにか積読タワーに隠れていたこの本を「発掘」したので、数日前から読んで、読み終わった。いま国語の教科書などに載っている明治大正のころの文豪たちは、実はみなはなはだしく荒唐無稽だったのではないか。

 備忘メモ
北斎展 上野の森美術館
・幻の東京計画
  〜首都にありえた3つの夢〜http://www4.nhk.or.jp/P3281/
・耳の人 西尾勝彦詩集
・トヨダヒトシ 白い月