古い腕時計に電池を入れてみた


高松で洋食を食べて満腹になった夜、50mm1.8のチープなレンズを付けたフルサイズのデジタル一眼で、誰もいないコインランドリーや、通りすぎる琴電や、仕舞屋と空地のあいだに出来ている影や、そんな風に写真を撮りなから繁華街の方に戻っていき、夜遅くまで読書をして過ごせると言う雑誌から仕入れた情報をあてにして、「半空」なる店に寄った。細い階段を上がったところにある。はじめての店が二階や地階にあり、階段を上がったり下ったりしているときは、少しだけ緊張感が沸くだろう。この階段は暗くて、寂しい。もちろんそのときの私の状態がそう感じたと言うだけなのだが。一階の入口から、二階のドアと言うより扉の方が合っているのかも、そこまでの空間に夜が入り込んでいる、あるいはもっと積極的に夜の闇を招き入れている。それなのに店の扉を開けると、そこに人々が集ってくつろいでいる空間があり、暖かい空気や光やひっそりとした声が、触覚視覚聴覚などに一時に感じられると、ほっとする。寒い日や、雨の日、暮れ時にゆっくりと走っていく路面電車が、そこにここよりは暖かい(おおげさだが)幸せを閉じ込めた光の箱に見えて、私も乗り込みたいと憧れる。実際に電車に乗り込むと、少しほっとするのかもしれない。そんな風な、電車に乗り込んだときのように、店に入り、空いているカウンター席に座る。
あー、なんだかこの文章は、センチメンタルに過ぎる上に支離滅裂だな。
店にあった山下洋輔の、私が学生の頃に愛聴していたモントルーのジャズフェスライブ盤が録音されたツアーのドタバタ道中記を読んでみるが、同時にカウンターの一番奥に三人で座っている常連組がときおりマスターも交えて話している内容に聞き耳を立ててしまった。彼等はSEIKOが1980年代に発売したジュウジアーロデザインのクロノグラフか限定で復刻されると言う話をしているのだ。
1983年、ジュウジアーロデザインのクロノグラフのうち、フルデジタルのオートバイのライダーをユーザーとして想定した機種が発売された。私は26歳で、250ccのオートバイに乗っていた。休日にはツーリングに行っていたし、片岡義男のオートバイ小説を読んでいたし、モーターサイクリストとかオートバイと言う雑誌を愛読していた。同じオートバイ趣味の友人と歩いていてオートバイが走ってくると瞬時にしてその機種名を言い合った。RZ400とか、GSX250Eとか、SR500とか。あの頃の国内における二輪車の販売台数は今の10倍とか20倍あったそうだ。そう言うオートバイに夢中だったところにジュウジアーロデザインのライダー用クロノグラフが出た。とある日曜日、寮の仲間の誰かと一緒に渋谷のカメラ屋へ行きその時計を買った。オリーブドラブ色のにした。この腕時計は6時のときに長針と短針が作る直線が指す方向を時計の中心線とすると、デジタル表示の文字盤がこの中心線ほうこうから右に15度か20度角度を付けて配置されている。これは、ライダーがハンドルを握って運転をしている状態で、手をハンドルから離すことをしなくても自然に文字盤を読めるデザインだと言う触れ込みだった。
先客が話している復刻される機種と言うのは、私が買ったこの機種なのかもしれない。もう何年も電池を入れていないが、引き出しの奥にとってあるはずだ。

20日の土曜日に、そのオリーブドラブ色のクロノグラフを持って時計屋へ行き、何年ぶりかで電池を入れてもらった。所定距離走ったときの平均速度を出したり、ストップウォッチだったり、そう言う機能はうまく動かなくなっているようだが、基本的な時計の機能は問題なく動いた。
この時計は1999年に一度復刻版が発売されたが、そのときは黒と銀色が出たのみでオリーブドラブ色は出なかった。今回の復刻版シリーズではこの機種は対象外だった。なので、私の色は希少ってことらしい。購入した当時、液晶表示がどれくらいの年数まで寿命があるものか、もちろん液晶の部品メーカーもSEIKO社も耐久加速テストをして、それなりの自信を持って発売したのだろうが、買ったときにはそのカメラ屋の店員に、10年も経てばどうなるかわかりませんよ、と言われたものだった。30年以上経った今でも、液晶は問題なく表示をしている。むかしに愛用していて、いつのまにか使わなくなっていて、久々に動かしてみたらちゃんと動いた、なんてのは嬉しいことで、しばらくまた使おうかななんて思うものだ。