謹賀新年


 二年に一度くらいは初日の出を眺めに茅ヶ崎海岸に行っているのだが、強風の寒い朝になると言う大晦日の天気予報を聞いて、早々に初日の出に行くのはやめにした。八時前に起きて、窓の外を見たら快晴だったが、これを書いている十時過ぎには曇っている。さっきベランダに出て、流れてきた低い雲を写真に撮った。すごく寒いようだった。
 正月早々に「低く垂れこめ、流れてきた雲」の写真を載せるのも、なんだかぱっとしないので、昨秋撮った写真を見なおしてみたら、十一月に日向薬師に行ったときに撮った畑に出ている新芽の写真があったので、それを載せます。
 今年もよろしくお願いします。

 1月1日 (1/3に追記)

 元旦の午後は雪が降った。Tと一緒に駅前のTSUTAYAに行き、映画を八本借りてきて、そのうちの二本を家に帰って、居間にごろごろ寝っ転がってみた。一本は「人生はマラソンだ!」というオランダ版フル・モンティと呼ばれているらしい映画で、もう一本はハリウッドの十五年くらい前の恋愛映画だ、垂れ目のなんとか言う俳優が主人公で、同じく垂れ目のガンバの遠藤選手に似ていると思ったから、そう言ってみたら、家族の残り全員に呆れられたり笑われたりした。

 旅行先で出会った音楽アルバムや音楽に関する何かの情報をもとにそれに関するCDなりをアマゾンとかで購入する。そうして購入したものは旅先で購入したとは限らないけれど、なにしろ帰宅後にアマゾンが自宅に届けるわけだから、それでも個人的な意味合いとしては「旅のお土産」となるだろう。
 12月はたくさん旅行に行ったものだ。年末の京都行のときに、ハイファイ・カフェの壁に並べて飾ってある沢山のLPジャケットを眺めていた。私自身が学生のころに持っていたアルバムもあったが、大抵は知らないアルバムだ。アーティスト名は知っているものの、ほとんどのジャケットは知らない。並んでいるジャケットのうちで一枚かっこいいのがあった。いや、こんな書き方はずいぶん稚拙な気がするが、そのときの室内の明るさや私の気分やいろんなことが総合的に働いた結果、そのときの私の目を引いたジャケットがあった、ということだ。それはキンクスのアルバムだった。私がよく洋楽をリアルタイムで聴き始めたのは1972年頃からで、しかも聴きはじめた、とは言っても土曜日だかの昼に民放のFM放送でやっていた洋楽ベストテンのような番組や、ラジオの深夜放送でかかるような曲を聴いていたばかりだ。カーリー・サイモンロバータ・フラックとビヨルン&ベニー、がよく流れていたのは何年の何月だったのだろう。(いま、カーリー・サイモンの「うつろな愛」を調べたら1972年の12月に発売されていた。ロバータ・フラックの「やさしく歌って」もビヨルン&ベニーの「木枯らしの少女」もだいたい同じころの曲だった)その頃が私が洋楽を聴きはじめた最初の頃だ。その一年くらい前から友人が、CCRとかシカゴだとかを聴きはじめていたので、ある日突然ラジオを付けてカーリー・サイモンが流れ出した、というわけではないのだが、自ら求めて洋楽を聴きはじめたのはその頃なのだろう。
 ハイファイカフェに飾ってあったキンクスのLPは『マスウェル・ヒルビリーズ』で同じく1971年の作品だが、少なくとも日本の少年がFMラジオのベスト10放送やAMの深夜放送で洋楽を聴いている範囲では、キンクスというバンド名もそのバンドの曲も引っかからなかったな。たぶん、ほとんどラジオで流れなかったのだろう。後日にロックの歴史とかなんとか、なんとなく音楽雑誌を読んだりしているうちにキンクスというバンド名は「いつの間にか」知っていたが、アルバムをちゃんと聴いたことなどなかった。
 数十年を経て、いわゆるジャケ写買いみたいなものだ。アマゾンで『マスウェル・ヒルビリーズ』を買ってみた。ここ数日はこのアルバムばかり聞いている。