清水まで

一昨年の正月には東海道線吉原駅まで行き、岳南鉄道に乗り換えてから、行き着いた吉原本町の商店街を歩いた。昨年の正月には、二宮と真鶴に立ち寄りつつ、三島大社で初詣をしてきた。毎年、冬の青春18切符を使って、正月休みに東海道線を西に向かって乗っていく。今年は清水で降りてみた。清水は市なのかと思ったら、静岡市清水区だそうだ。駅の階段を降りると駅前の安倍川餅の店や酒屋や定食屋は開いている。そのすぐ先を左に曲がるとアーケード街。正月の二日でほとんどの店が開いていないが、文房具店や玩具店が開いていた。正月休みに文房具屋や玩具屋に用事ができることは、確かにありそうだ。海鮮料理の店もやっているようだ。商店街は駅前のアーケードから屋根のない通りへと続いて行くが名前は銀座商店街のままのようだ。商店街から小さな路地に曲がると東海道線の線路とアーチのある鉄橋があった。その鉄橋が掛かっている川の流れはきれいだった。さざ波に合わせて、川面に映った対岸の建物が細かい泡のようになって崩れた。川の流れが曲がっている。それに合わせるかのように通りも曲がっている。カーヴのある道はカーヴのない真っ直ぐな道よりいい。何が「いい」のか?なんだか街に襞のようなアクセントを加えている。そのせいで風景だけでなくて、もしかしたら住んでいる人の心の中にまで襞を与えている。襞があると一筋縄ではない、そんな感じがする。だから「いい」とか「悪い」とはちょっと違うんだな。襞は癖でもいいのかも。でも、個性とか言い出すとつまらなくなる。
商店街を引き返し締まりかけた踏切を走って渡り、降りてきた遮断機の棒をギリギリで潜り抜ける。十日ほど前に住んでいるマンションの階段で足を踏み外して尻から落ちて、そのまま数段をずり落ちた。降りてきた遮断機を潜るために腰を屈めたら、まだ尾てい骨の辺りが痛いのだった。
踏切を渡ると港の側だ。ユーミンの2枚目のLPが捨ててある。
港では釣りをしている人がいる。紫のジャンパーに日が当たり、蛇の鱗のように輝いている。休日に釣りをしている人には少し憧れる。釣果を目指すのではなく、何かを考えているのか、考えるなんてことを越えたところでぼんやりと出来ているのではないか。仙人のように。かといって釣りをやろうとは思わない。釣りをやっても釣果に一喜一憂するに決まっている。
20年かもっと前には河口でスズキをルアーで釣ろうと思って道具を揃えた。家の比較的近くの川の河口がスズキのルアー釣りのスポットだと、スポーツ新聞で記事を読んだ。それがきっかけで、道具を買って、2回か3回か、朝の日のでの頃か夕方の暮れ時に釣りに行った。しかし釣りよりも空の様子が気になってしまう。釣りなどせずに、朝焼けや夕焼けに染まる空の写真を撮りたくなってしまうのだ。結局は一匹も釣れない、いや、釣らないままにルアー釣りをやめにした。
三保の松原とか日本平に行くためのフェリー乗り場の近くには2階建ての長っ細い建物があって、清水港や近隣の港で水揚げされた魚介を使った海鮮料理の店がたくさん入っている。お、なんか、食べて行こうじゃないか、と思ってその建物に入ってみたら、そこまで歩いてきた街や港とは違い、どの店も列が出来ていて、大勢の客が右往左往している。私が歩いてきた方とは建物を挟んだ反対側に大きな駐車場があり、そこに自家用車で乗り付けた人達が食べに来るようだった。並ぶのをやめて、再び駅に戻り、最初に歩いたシャッター商店街にあった店に行ってみた。その店は空いていた。先客は二組だ。鮪づくし1200円。本鮪の大トロ、中トロ、赤身の、握りや巻物で、まさに「づくし」。これだけの鮪をこの値段で食べられるとは素晴らしい。全く生臭くなくて、水っぽくもなくて。