無題


私自身が、自分で書いたこのblogの文章を読み直したときに、うんよく書けているじゃないか、と思うこともあるが、何を書きたかったのかまるでわからなかったり、独りよがりで強引な論旨の飛躍があったりで、イヤになることも多い。昨日の1月17日の文章なんかは後者の典型で、初めから「最近の世の中、世知辛くて、包容力がなくて、稚拙だ」なんていう、もしかしたら過去のどの時代にも私くらいの初期老人に至ると決まって同じ風に嘆いていたかもしれない、即ち独自の考察の結果なんかでは決してなくて、年齢から来る典型的な「批判的な姿勢」「世を憂う」と言う症状がまず最初にあって、それが発露するべく、実は後から、文章をその方向に展開していっただけなのかもしれない。
よしだたくろうの「ビートルズが教えてくれた」と言う、作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎の曲がある。
♪勲章を与えてくれるなら、女王陛下からもらってしまおう、女王陛下はいい女だから、付き合ってみたいと思う♪
とか、
♪そのかわり、捨てるのも勝手さ、もらうも捨てるも勝手さ♪
とか歌われたあとに、
ビートルズが教えてくれた
と言うさびへと続いていく歌だ。この曲は音源をなにも残さずに解散した新六文銭も持ち歌にしていたらしく、多分いまもYouTube辺りで探せば新六文銭のライブ演奏を観ることができるだろう。その動画ではあんまり歌が上手とは言えない小室等のコーラスを歌う姿が、音程の不安定さとは関係ないところでプロテストソングを歌う決意みたいなところが垣間見える感じがしていい。拓郎は堂々と歌っている。
茅ヶ崎に住んでいるからと言って、別段サザンのことが好きなわけでもないけれど、桑田氏(私より一学年だけ年上だと思う)の書く歌詞は若い頃の支離滅裂風でときどきなんだか意味がよくわからない恋愛の歌から、年を重ねるにつれてだんだんとその支離滅裂さがなくなっていき、さらに歌詞の持つ主張が社会性を帯びてきて、最近ははっきりとプロテストソングになっていてニール・ヤングみたいだ。もしかしたら、桑田氏より三歳から十歳くらい年上の人たちの中には若い頃から政治的な、そこまでではなくても社会的なことを歌うことが世代として当たり前でそれに慣れていたかもしれない。でも桑田氏の世代のいま五十代後半のおじさんたちは、そのほとんどは「政治の時代」の後に学生時代を迎えていて、だからまさに桑田氏と同じように概ね学生時代には恋愛にだけ夢中になり、そのあとバブルで遊び呆け、それでも年を重ねた今になり、アレレ世の中ちょいと不穏だなぁ、と思い至り、その心配から発した平和への願いをちょっとだけ発信し始めた。そんな感じかな。だから、繰り返すが別段特別サザンに思い入れはないけど、年末の紅白を見ていて「へえ、同じように年を取ってきてるんだ」と言った共感がちらりとだけ沸いた。それだけのこと。
ところが、そのあとまたぞろネット上の過敏反応と、そこからの雪だるま式の、たいした考察のない稚拙で匿名性の高い論調肥大があったのかな?なんだか謝罪が出たとかで、びっくりしてしまった。
あいつがこう言ってら、こいつはこう言ってら、俺はちょっと違うけどね、みんなそれぞれああだこうだ言って議論すれば、それはそれで楽しいじゃん!って感じになれないのかね。
体制が言論を圧迫して、民衆が言論の自由を叫んで来た、と言うのが一般的な歴史なのだとすると、なんか、体制がなにも言わずとも、民衆が「免疫機能の自己破壊的」に、ちと違うか?まぁいい、民衆自らが言論を制限をして、みんなが画一的ないい子ちゃんでありましょう、という方向に放っておくと向かっていくと言う特異なところがありはしない?この国の民族性って。自分もそうだもんなぁ。
だから、小室等のように覚悟を決めないとプロテストソングすら歌えない。
桑田氏がひょいと頭を引っ込めたのも彼らしくていいけれど。
私にはチャップリンに見えました、大晦日のあの髭。