竹の庭


2月はシーズンオフだからなのだろう旅行会社のパックには、「新横浜から京都、のぞみで往復指定席、ホテル付」で交通運賃のみと同等かさらに安い、何て言うのも見付かるらしい。私が予約した訳ではないが家族の某がそんなのを見つけ出したから、土曜日曜で一泊の家族旅行に行ってきた。京都は冬の特別公開の期間なので、土曜日は、これは特別公開とは関係ないが北野天満宮に早咲きの梅を見物に行き、そのあと堀川×今出川を信号二つくらい上がり、東に入ったところにある妙顕寺と言うところの特別公開を見に行った。日曜日は雨の予報だが土曜はよく晴れた上に4月くらいの陽気で暖かい。
第49回京の冬の旅 非公開文化財特別公開のホームページによれば、
妙顕寺(みょうけんじ)
~琳派を代表する 尾形光琳ゆかりの寺~
 鎌倉時代、日像上人が京都初の日蓮宗道場として創建した大本山。伽藍の中心には、天井に信徒の家紋をあしらった総欅造の荘厳な本堂が建つ。琳派を代表する尾形光琳の屏風絵を元に作られたという「光琳曲水の庭」、客殿前の「龍華飛翔(りゅうげひしょう)(四海唱導(しかいしょうどう))の庭」、孟宗竹の坪庭と、風情ある三つの庭が残る。今回は、光琳筆「寿老松竹梅三幅対(じゅろうしょうちくばいさんぷくつい)」、江戸琳派の祖・酒井抱一筆「観世音菩薩像」など琳派の絵画のほか、狩野山楽筆「楼閣山水図」屏風など寺宝も特別展示される。』とのことである。
一人で旅行に行くときならこういう解説に従って庭や絵をじっくりと見物しては何か自分だけの感想や思いを持つのだろう。良い悪いではなくて家族と言う同行者がいると、家族のなかでのお互いのコミュニケーションが常時起きている。だから、開祖の日像上人が書いたと言う、今風に言えば3ぽいんとあかもっと小さそうな写経(なのかな?)の字の楷書があまりにも美しくて、家族の某が、これは未来からパソコンがタイムスリップして持ち込まれていたに違いない、などとテレビドラマのSF時代劇見すぎのコメントをして、それがきっかけでその拡大された写真や、実物を虫眼鏡で見て、さもありなんなどと思ってみたり、肝心の歴史的な解説を忘れて、だけどその場所で昔、紅茶のテレビコマーシャルが撮影されたと言うキャッチーな話は覚えていて、それで何枚も竹庭の写真を撮ったりもした。うわっ、なんかミーハーですねえ。
ホテルにチェックインしたあと、夕食までのあいだ、二時間ほど自由時間と決める。息子は六曜社で偶然に大学時代の友人に会い話をしてきた。家族の女性陣はどこやらのアクセサリー店などを見てきた。私はレティシア書店に行き、そのあとはブックカフェ月と六ペンスで珈琲を飲んだ。一人客が席を二つくらいづつ空けて座っている。私の席の前にはずらりと文庫本が並んでいる。その中からひょいと新潮文庫高村光太郎詩集を手にしてみる。高村光太郎の詩は、教科書に載っていたレモン哀歌しか読んだことがなかった。それが智恵子抄という詩集に入っているそのタイトルは多分中学の国語のテスト対策で覚えたのだろう。
即ち、ちゃんと読むのは初めてなのだった。最近は老眼が進んで、少し暗いと近いところは見えない。とにかく字が読み取れないので難儀する。眼鏡を外す。今度は本を目のすぐ前に持ってこないと読めない。しかし、それならば読めるから、眼鏡を外して読む。ドンドン読んで止められない。とうとうそこに掲載されていたすべての詩を読み終えた。
死後に刊行されたと言うから本人の詩集としての全体構成は未承認なのかもしれないが、詩集「猛獣編」の「激動するもの」とかこれはロックスピリット。

『さいいう色で出せないものがあるのだ
さういふ見方で描けないものがあるのだ

さういふ道とはまるで違つた道があるのだ
さういふ図形にまるで嵌らない図形があるのだ』

抜粋でした。