偶然では非難されていた写真


 一日の日曜日の午後、母の入居している施設で半期に一度行われる懇談会に出席する、その前に、鎌倉の某古書店に行って、その一週間前に買うかどうか逡巡し結局買わなかった昭和37年発行の思想社現代教養文庫「現代の写真」を買った。古書店で逡巡して、あとからもう一度行くと、すでに売れていたり、あるいは店内のどこにその本があったのかをよく覚えていなくて見つけることが出来ないのか、手に入らないことが意外と多い。しかし、今回はちゃんとその本を買うことが出来た。著者は重森弘淹という人で、私は知らなかったので調べてみたら、石庭作家の重森三玲の子供だそうだ。写真評論家としてはずいぶん活躍した方らしい。
 ブレッソンの初個展に関する記載があった。『「あいまいで、矛盾した、反造形的で、偶然」なものとして激しい非難をかったのである。構図が正確で、造形的な空間処理もうまく、しかも偶然に頼らぬことを、写真評価の規準としてきた人々にとっては、まさに我慢ならぬ作品であっただろう。』(中略)『かれの「決定的瞬間」とは、あらゆる錯綜し、矛盾した事象が、もっともアクチュアルな様相で投げ出されてきた瞬間を指しているのである。』とある。この段階で著者はブレッソンの登場がその時点の規準を覆す革新であり、それをもたらしたのが、小型カメラの登場とともに「新たに」現れたスナップという手法にある、と書いている。
 さらにページを進めると、ウィリアム・クラインの登場に関する記載がある。『クラインの写真をみていると、それまでのブレッソンに感じとられたフレームという枠は、全くといっていいほど感得されない。実のところ、かれは、ファインダーすら覗いていないのではないかという感じがする。ファインダーを覗くことは、当然フレームの枠内に構図を切りとらねばならないわけで、構図をととのえようとすれば、偶然の要素は逃げ去るだろう。』とある。そしてこの記載に至る前に、ブレッソンの(昭和37年時点での)最近作がアクチュアルな力強さは見られず、期待を裏切るものであると書いていて、その理由について『今日、われわれが信じうるとして「決定的瞬間」の現実というものは、われわれが意識する以上に、われわれが想像する以上に、われわれが経験的に判断する以上に、はるかに気まぐれで、偶然で、スリリングに富んでいるのである。もちろんこういう偶然で気まぐれな決定的瞬間を捉えるためにブレッソンの試みた非演出主義は、あらかじめ一定の状況を設定するという演出主義と異って、そうした経験主義的な想像力の枠を破るうえにおいて有効であったといわなくてはならない。』と書いているが、そのあとに『われわれが(ブレッソンの写真に)不満として感じるところのものは、結局かれによって捉えられた「決定的瞬間」の世界が、現実肯定者としての眼で把握された過不足のない世界にすぎないという点であった。あらためて、ブレッソンの「決定的瞬間」「ヨーロッパ人」「二つの中国」といった写真集を通して感じられることは、ジイド的なフランス流のボン・サンスの眼で貫かれていることであって、そのあまりにも洗練された文明批評的カメラ・アイには、ついにそらぞらしい傍観者の論理が光っているだけなのである。(中略)かれは現実にひそむ偶然を飛躍台にして必然の世界を凝視しうべき有効な方法論を確立しながら、カメラはたんに肉眼の延長であり、自分の見た世界はそのまま信じることのできる世界として提示しようとした、一元論的世界観からは抜け出ることができなかったのである。(中略)かれは、やはりフレーム内で、眼にみえる範囲内でスナップしようとしたのである。フレームの中に入り切らぬもの、あたかも常識的なドラマツルギーで現実をしばり切れぬように、フレームの中にしぼり切れぬものをかれは意識できなかった。ともすればフレームの中に入れようとする意識をうちこわし、フレームからハミ出ようとするものにこそ、意識を届かせることが、かれの写真にアクチュアリティを回復させる道ではなかったのではなかろうか。』とある。すなわちブレッソンの登場が規範を打ち破りスナップを確立した歴史的転機であったものの、その後に現われるクラインやフランクの写真に接してあらためて感じるブレッソンの写真への(その時点の最新の写真の)不満は、フレームからハミ出ようとするものに意識が行かなかったからだ、と考察している。
 この本が書かれたあとに、たとえばニューカラーが出てくる、といった写真のさらなる変化というのか「新しい歴史」が積み重なっているわけだが、少なくともこの本が書かれた時点の「同時代」やその時点からの「過去」に関して考察されたことが、今の考察から大きく批評が見直され違っているという部分があるのかどうか、そこまで見抜くことは私には不勉強で出来ないものの、読んだ感じとしては何も違和感を感じるところがなく、だから多分それほど見直されていないような気がする。