読書量が読めない


 写真は二月に京都に家族旅行で行ったときに泊まったホテルのロビー。本を読んでいるおじさんがいます。
 日々の通勤バスや電車の中で、当然旅行するときの行き帰りの電車や旅先の喫茶店やホテルで、本を読む。もっと積極的なことで、そういう移動中や旅先で読書をすることが主目的に近い願望で、行き帰りの電車で本を読みたいからどこかに行くという感じさえある。吉田健一とか内田百輭とか、車中で酒を飲みかわすのが主目的な旅をしていたのではないか。その酒が本なのである。下戸なので。
 そして、通勤に出る前、旅行に出る前、本をどのくらい読み進むかを予想というか妄想する。その読書の「量」は現実に読み進む量よりはるかに多い量を予想してしまう。実際には車中で眠ったり、スマホをいじったり、車窓の風景を見て写真を撮ったりするから、ずっと熱中して読書を続けることはないのである。しかし事前予想の読書の量は、ずっと熱中して読書を続ける前提の量に余裕を持って設定される。そのうえ、読んでいる本がつまらなくなるのではないか、それ以上読みたくなくなるのではないか、という恐れがあって、そのリスク回避のために二冊目も入れておく。さらに、読んでいる本の残りが読み終わりそうだとすると、次に読む本も持って出るから、日によっては三冊がバッグに入っている。そしてさらに、昼休みや出張の移動中に本屋に寄ってまた本を買ってしまうこともある。
 一体全体、重い重いと持ち歩くビジネスバッグの総重量のうちのどれくらいが「今日は読まなかった本」に占められているのか。