雨の夜


この雨の車窓写真のことではなく、前の日のblogに載せた写真に関することの続きです。
フルサイズの一眼レフカメラに50mmの単焦点標準レンズを付けて、例えば、一つ二つまえのblogに載せた写真を撮った箱根湿生花園やポーラ美術館の庭や、あるいはよく行く新宿御苑の母と子の森、鎌倉の広町の森で、比較的に絞りを開き気味にして1mから数mの距離にある主に低木の枝や葉を明るく撮る。そう言う場所に行くと、ここしばらくそう言う撮り方をしてしまう。晴れている明るいときが特に好きだ。一般的な基準よりやや露出を多めに。距離が近いことと、絞りを開けていることから背景や前景がぼける。ほどよくぼけているのか、ぼけすぎなのか、人それぞれに好みがあるからどれがいいとは言えないが、一つ前のblogに載せた、画面の右が池の水面で左に枝と葉のある写真のぼけの程度が、自分としては良い感じだ。
ぼけを使っているから、ピントの合ったところが、もっと画面一杯に高い解像度でみると余程に浮き立って見えるから、自ずと鑑賞者に写真の中の注視点を固定させてしまう。しかしピントの合った注視点が特段注視させられるに相応しいような、例えば花があったり、鳥が止まっていたり、紅葉があったり、裸の枝のくねった形に何かを連想させる形があったり、そう言う共通的に納得可能な安心の出来る被写体がないから、鑑賞者は少し戸惑うかもしれない。
こういう公園などの人の手で整備された、けれども、ある程度は植物任せで生い茂った一角に目が向くようになっているのは、もしかしたら、ホンマタカシ写真集「in our nature」の影響があるのかもしれない。三年くらい前に、トーキョーアートブックフェアのSuper Laboブースで手にして、すぐに気に入って買ったのだった。写真集は欲しいと思ったから買うのである。勿論。だけど手に入れるといつでも見られると思うからなのか、意外にめくらない。買って帰ってパラパラとめくって満足して、今度またじっくり見よう、と思って本棚に仕舞う。そのあとなかなかその今度が来ない。
これらの写真を撮ってblogに載せて、載せたからこうしてその写真について「文章」となるように、ってことは良し悪しは別にして、ある程度は論理的に考えたら、ホンマタカシの上記写真集のことを思い出した。そこで、いまこそ、その「今度」に当たる機会だとばかり本棚やら、本棚にはいりきらない小型の写真集が詰め込んであるBOXとかを漁り、その写真集をやっとこさ見つけ出した。
あらためて写真集を見ると、どれもこれも深度が浅い訳ではない。察するにホンマタカシは、大判のフイルムカメラで、本当はニューカラーのように深い深度で見せたかったのではないか。でも大判の標準レンズで焦点距離が長いから比較的に深度は浅くなりやすい、加えて被写体が植物なので風に揺れるからあまり遅いシャッター速度だと被写体ぶれが起きる。遅いシャッター速度が選べないと絞りをそれほどは絞れない。被写体距離が数mと近いから遠方より被写界深度が浅い。などの条件から結果として背景がぼけている写真も含まれてきた、ということなのではないか。ホンマさんの真意はわからないが、ぼけに関して積極的にそれをコントロールするほどの意思はないか、もしくはどちらかと言えばぼけなど不要だが、上記の緒撮影条件から結果としてそうなった、と言うことのような気がする。そうでなかったらごめんなさい。
しかしその写真集を見た私は特にそう言う写真が記憶に残っていて、だから、目の前に公園の低木を見たときに、深度を浅くする操作をこっちは故意にした、無意識的にでもそう言う背景があると思う。撮っているときには「in our nature」のことを具体的には思い出してなくっても。
むかしむかし、私が子供の頃のこと。写真を撮ると言えばモノクロフイルム、大抵は富士写真フイルムのネオパンSを使っていた。ネオパンSの箱か箱の裏か、あるいは小さく折り畳まれた説明書が、薬を買うと箱に入っているようにネオパンSの箱に入っていたのか、そこのところはよく覚えていないが、当時は写真を撮るときには被写体の明るさを眺めてから、カメラのシャッター速度と絞りを自分で設定するものだったので、その判断の目安となる表が載っていた。晴れた屋外の項目は1/250秒のF8となっていた。それをベースに育ったので今でも晴れた屋外では基本的にISO100の1/250秒のF8と言うところから頭のなかで考え始めるようになっている。あ、これはたまに露出計や自動露出を内臓していないフイルムカメラを使うときの話。そこからISO400なら二段シフトして例えば1/500の11に、さらに絞りをそこから開きたかったら、1/4000秒のF4と言う具合に。でもむかしむかしはISO100のネオパンSばかりで、たまに贅沢してSSの200だったし、カメラのシャッター速度の高速側は1/500秒かあるいは本当に精度よくその速度が出ているのかあやしいのであまり使いたくない1/1000秒どまりだったから、即ち、こんな風に晴れた屋外で深度の浅い低木の写真を撮ることは簡単ではなかったのだ。そのためにはNDフィルターを使いこなすことなど、すぐに面倒で難しくなるのだった。
ま、ホンマさんの「in our nature」が大判のフイルムカメラで撮られているとすれば、それから大きな銀塩プリントを作ることで高精細なこと、広い階調範囲となめらかなグラデーションが現れて美しいに違いない。デジタルカメラの最近の高画素数機プラスHDR機能なんかで、どこまで肉薄しているか、けっこういけてるのか、わからないが。少なくともblog程度であればなんちゃって大判風な写真を見せられる感じだ。
深度の深い方であれば、即ちショア的な深度の深いニューカラー風を簡単に撮るならば、いっそ、コンデジの深い深度で撮ると(機材的に)なんちゃってニューカラーになるかもしれない。