カレーっぽい風景


1970年ころ。私が中学生の頃の話。日曜日の夜、そろそろ寝る時間になり、布団に入ってから、イヤホンを付けて自分で組み立てたゲルマニウムラジオからニュースを聞いていた。
このゲルマニウムラジオはNHK第一と第二に加え、なぜだかFENがはっきりと受信できたが、民放はノイズに埋もれて聞き取ることが出来なかった。ときどき朝鮮語放送が、大きな波のようにはっきりと聞こえてはさーっと引いていった。NHK第一の、ニュースと、「若いこだま」と言う番組と、そのあとまで寝付かれず起きているときには、ポールモーリアやカラベリのイージーリスニング曲が流れる番組を聞いたと思うが、イージーリスニングの番組のことは曖昧で、もっとあとになってゲルマニウムラジオではなく、父のお下がりのAMもFMも短波も受信できるトランジスタラジオでFMのジェットストリームを聞いた思い出と混同しているのかもしれない。
その日曜日の夜、ゲルマニウムラジオから流れてきたニュースから、同級生のT君の名前が流れたときにはビックリした。心臓が飛び出すかと思うほど、と言う比喩の通りだ。
創作文章の書き方教則本などで、ありきたりの比喩なんか使うな、と書いてありそうだが、大抵のありきたりの比喩は比喩として優れているからそうなったに違いない。まさしくありきたりの比喩の通りに、心臓が飛び出すかと思うほど、あるいは息が止まりそうに、驚いたのだ。
多分、ニュースで名前を読まれるような事件が、自分の身近で起きることはない、と言うように思っていた、と言うよりそうだったからそうなのだ、と認識が出来ていたのだろう。ニュースで読まれるような世界が自分の町や回りとも地続きだと言うことを、実際に体験した驚きが、T君を心配する気持ちに、更に重なったのだ。
そのニュースはコカコーラの瓶のボトルがまたも破裂して、T君が手に怪我を負ったと言うものだ。当時、コカコーラの瓶が破裂する事故が多発して問題になっていた。それがT君に起きたのだ。学校では、それはさすがに中学ではなく小学生のときだと思うが、例えば鎌鼬と言う空気中にできる真空領域かあってそれに襲われると突然皮膚が切り裂かれるのだ、なんて言う都市伝説の類いがときどき流れてきて子供心には充分に恐怖を煽られるものだった。コーラ瓶の破裂は鎌鼬とは違って実際に起きている「本当のこと」なのだが、破裂する悪意がボトルに宿っていて、それに偶然に遭遇してしまったT君が犠牲になったという風に考えると、都市伝説的な恐怖を感じることも出来そうだった。
日曜の夜の心配や驚きから、月曜に会うT君は被害者として大変な状況下にいるのではないかと勝手に推測したり妄想したりしたかもしれない。月曜に会ったT君は、もちろん手には包帯を巻いてはいたものの、いたって元気だった。安心とともに、なんだか拍子抜けした感じがあった。こういう感情は、人の不幸を高見の見物をする位置、安心の位置から見下ろして、心配をしている振りをすると言うようなことの発覚だ。人間がもともと持っている悪意に属するかもしれないところだろう。
T君とはそんなに仲が良かった訳ではない。学区の北西の端に住んでいた私と、南東の端に住んでいた彼とは家が遠いこともあり行き来が少なかった。T君は柔道部で、私はブラスバンド部で、これまた関連が少ない、と言うより、ない。それでもお互い、一回はお互いの家に行っただろう。彼の家は、今みたいにコンビニがない頃の、雑貨屋さんだった。家庭の主婦が使う消耗品、洗剤やトイレットペーパー、石鹸やシャンプー。醤油やソース、塩や砂糖。コカコーラもT君の家の店の商品だったのだろうか。
2015年5月。母の日に母の入っている施設で、おばさんと妹と合流して三人で母と話し、あるいはそれぞれの近況を話し、そのあとおばさんと妹と私の三人でファミリーレストランで昼食を食べた。引き続き近況を話したり聞いたりしながら。いとこのM君、おばさんの息子さんは近々結婚をする。私とは歳のずいぶん離れた若いいとこ。大型バイクに乗るのが趣味のいとこ。十数年前には写真を撮ることも趣味だったはずだが、最近はやめちゃったのかな。会っても顔を覚えていないだろういとこ。おばさんは母より八歳若いが、ずいぶん小さくなってきた。丸顔でいつも楽しそうな笑顔であることは変わらない。
ファミリーレストランでの定番とは言え、ハンバーグなんかを選ぶことなど滅多にないのに、このときはフェアのメニューの一つになっていたハンバーグを食べたが特別に美味しくはなかったな。フェアは夏野菜だったかな?
ゲルマニウムラジオを聞き、T君の事故に驚いた1970年の頃は、駅前に不二家レストランがあって、何ヵ月かに一度だけ家族で不二家に行くのはちょっとおめかしをする気分を伴った特別な感じで、そこでは必ずハンバーグを食べた。ハンバーグはご馳走だった。父は私がハンバーグを食べる度に、自分が子供の頃にはハンバーグなど(まだ日本では知られて)なかったし、もちろん食べたこともなかった、と言っていた。
その不二家レストランはいまはもうない。一方で、駅前の活気のあったB町商店街はいつのまにか個人商店が、牛丼チェーンの店やら居酒屋チェーンの店やら、どの駅前にもある店に概ね侵食されてしまった。外来の生命力の強い雑草のようなチェーン展開の店。しょっちゅうお世話になるけれど。
ファミリーレストランで多分夏野菜フェアの特別メニューらしいハンバーグを食べたあと、妹の運転する昔からは考えられないほど居心地の良い、広い軽自動車で駅まで送ってもらう。(今、私の住んでいる家のある最寄り駅ではなく私が高校まで住んでいた実家の最寄り駅。)快晴で気持ちの良い五月。そのまま駅に向かわずに駅の回りをうろうろとカメラを持って歩いてみた。このカレーっぽい色の建物はT君の家のあった近くだ。いや、「あった」と書いたが、今もあるのかもしれないけれど。だからこんな風に思い出に浸っている。
駅に近いBOOK・OFFに寄ってみる。何も買わない。
中学生の頃の話に戻ると、一度だけT君が学区の南東にある彼の家から北西にある私の家まで、レコードを持ってやって来て、一緒に聞いたことがあった。そのアルバムにはheavy churchって曲が入っていた。何故かその曲名だけを覚えている。なんてバンドのLPを彼は持ってきたのか?CCRやシカゴやBSTやスリードッグナイトが流行っていた頃だ。でももうどのバンドか忘れている。
と、これでこの長い文章は終わるのなら良いのだが、2015年のいまはすぐになんでも検索できてしまうので、Yahooで「heavy church ×曲名」などと入れてみてしまう。記憶はかなたに霞んで消えていくべきものなのかもしれないのに、調べて生臭くしてしまう。
1970年に発売されたスリー・ドッグ・ナイトの5枚目のアルバム「ナチュラリー」にその題名の曲が入っていることが判った。ついでに、この曲はアラン・オデイと言うシンガーソングライターの作で、この方は2013年に亡くなっている。山下達郎の英詩もずっと担当していたそうだ。