富士山やクレマチス


 最後に平塚市にある、いまは湘南BMWスタジアムと名前を変えた平塚競技場でサッカーを観たのは、日韓ワールドカップ2002年のときに、ナイジェリア代表が湘南ベルマーレとやった練習試合かな。あるいは同じ年に、J2の仙台戦に行ったかもしれない。それ以前、ベルマーレが強かったころにはしょっちゅう行っていた。中田やロペスのいたころにはホーム戦はほとんどすべてに通った年もあった。アントラーズに5-0で勝った試合とかね。野口がたくさん点を入れていた。
 その後の十年以上、結果はニュースで気にしていたし、テレビで試合を観れるときにはなんとなく観ることもあった。それがここ数年はなんだか「湘南スタイル」と言うそうで、試合が面白いからスカパーオンデマンドを契約して、ほぼ全試合観るようになって、5/30の広島戦はとうとう十数年ぶりにスタジアムまで足を運んでみた。懐かしいなあ、むかしとおんなじ感じだった。
 今日は夜にサッカーへ行くまえ、静岡の東名裾野インターまで高速を運転し、そこからちょっと行ったところにあるクレマチスの丘へ行ってきた。またぞろ「花に誘われた」わけであるが、敷地内のフジフォトミュージアムで開催中の「富士定型」写真展や、ビュッフエ美術館で開催中の杉戸洋展にも興味があったし、ずっと手に入れないままでいる大好きな写真集「太陽/野口里佳」を買ってしまうことにして敷地内のミュージアムショップNOHARAにも行きたかった。
 同じく敷地内にあるヴァンジ彫刻庭園美術館ではクリスティアーネ・レーア「宙をつつむ」展が開催中で、これは事前にノーマークだったのだが、とても惹かれた。
『レーアは自然から採取してきたタンポポやアザミなど、身近な植物の茎や種子、また馬の毛を素材にし、その特性を活かしたかたちを作りあげていきます。はかなく細やかな生命の欠片たちが、作家の手作業によって一つ一つ丁寧に組み合わせられた作品は、その小ささの中に普遍的な美しさを感じとることができます。「空間に生成されるかたち」という彫刻だけでなく平面の作品にも共通するレーアの主要な問題から、かたちは素材の内的な構造に従いながら作られていき、とても軽やかで繊細でありながらも、建築物のような確かな安定を備えています。作家の身体性と精神が深く根ざしたそれらの作品に対峙するとき、私たちは世界がもつ豊かさに気づくことでしょう。』
以上は美術館のこの展示のページより抜粋http://www.vangi-museum.jp/kikaku/150405.html
 自分がなぜにこの作品に「惹かれている」のかそれを説明するのが上手く出来ないのだが、なにかとても小さいもの、小さくて精緻で、ひっそりとしていて合理的で科学的な美しさを持ったもの、そういうものを誰にも見せずにこっそりと持っていたい、そういう気持ちをみんながみんな持った経験があるのかどうかわからないが、公明正大で協調性に満ちているおおらかな方はそういう経験がないのかもしれない(とか思うこと自体が偏見に満ちたハラスメント的ですね)、ちょっと小川洋子の短編のような、そういう気持ちというか気分というか嗜好性をちょちょいと刺激されているのだろう。

 それから庭に出て空を見上げると、細い雲が一方方向に進む細長い魚のように空に「泳いで」見えた。

 クレマチスの丘から戻り、一人でサッカー場へ。

 サッカーの試合の後半に地震がやってきてスタジアムがゆらりゆらりと大きく揺れた。観客はすぐに気が付いたが、試合をしている選手や審判は走り回っているから気が付かない。線審が気が付いて旗を振りあげて主審に合図をして、主審と線審が会話をし、主審の指示で試合が中断して選手がセンターサークル付近に集められた。そのあと放送が入り、安全の確認が済むまで試合を中断すると言う内容だった。
 この十分くらいだったろうか、中断が後半の二十分過ぎにあったことも選手の体力の回復に寄与した可能性もあるだろうか、試合はこのあととくにノーガードのカウンターの応酬のようになり、観ている方はハラハラドキドキでとても面白かった。惜しいシュートもスーパーセーブもあり。

 試合後、電車が止まっている。平塚駅まで歩いて、そうだバスで帰ろう!と気が付き時刻表を観たら9:55のバスまであと1分。走って飛び乗った。