葉山の海辺


 先日、会社関係の懇親会で、私が二十代三十代の頃に撮っていた写真を、当時、社内の文化祭やらで見て「すごく写真が上手い人がいるもんだ」と思っていた、と二人の人に言われた。お世辞を言われおだてられて悦にいっている感じもあるが、よくよく聞けば私が二十代三十代の頃という限定付きの褒め言葉なのである。そのころは田園都市線の某駅が最寄駅だった会社の寮に住んでいた。休日になるとスズキGS250Tって単車を運転しては、七里ヶ浜の駐車場あたりに行き、主にポジフイルムで写真を撮っていた。大抵はコダクローム64を使っていた。一眼レフカメラで、35mmと85mmと200mmの三本を持っていくことが多かったと思う。いまならAPS-Cサイズのデジタル一眼レフカメラに18-135mmくらいの標準ズームで全部カバーできる。
20代後半に結婚して寮を出てからも田園都市線沿いに住んでいた。単車はホンダのクラブマンに代わったが、たまには独身の頃と同じようにカメラを持って七里ヶ浜に出掛けたと思う。あるいは、妻が独身のころから乗っていて、結婚後も乗っていた丸目のジェミニに乗ってドライブがてら、カメラを持って出掛けていた。
 浅井慎平さんの写真集「風の絵葉書」という定価10000円の写真集を買ったのもその頃だ。いまでも10000円の本を買うには覚悟が必要だ。まして1981年にこの写真集を買ったときには良く言う「清水の舞台から飛び降りる」って感じがしたものだ。いまアマゾンの中古本で見ると3500円くらいから買える。
 二十代三十代のころ、この写真集がバイブルになっていて、頭の中にこの写真集の写真(多くは海外で撮られたものだが)が規準映像のようにインプットされていて、そこと記号や色彩や配置などに、無意識のうちに自分なりの解釈の照らし合わせを行って写真を撮っていたのではないかと思う。35mmも持っていたが、中望遠や望遠を使うことが多かった。
 その頃の写真(だけ)は良かった、と言われて悦に入り、そのころのような写真がいまでも撮れるだろうかと思って、実践テストをしてみることにした。もちろんただの一日だけ湘南の海へ出かけたところですぐに当時のような写真が撮れるような場面に出くわすとは限らないだろうけれど。
 ということでそういう比較的高倍の標準ズームを付けたデジ一を借りた。

 葉山の御用邸の近くの海に緑の芝生が岩場を覆っている場所がある。一番下の写真です。大好きな場所でひがな一日寝転がっていたいくらいだ。しかし、ここは御用邸が近いこともあって常におまわりさんが警戒をしている。カメラを持って浜辺を歩いてその小さな岩場に近づいて行くと、おまわりさんがいつのまにか私に並んでいてにこにこしながら笑っていない目で「御用邸の方向はあまり撮らないでくださいねー」などと言われる。真面目な私は緊張してしまい、そちらは決して撮らないようにする。
 そのおまわりさんが今日はいつもよりずっと大勢いる。しかも二人三人とグループを組んで入念にチェックをしている。遊びに来ている人たちはもう水着の人も大勢いる。ばしゃばしゃと海に入って遊ぶ人もたくさんいる。水着の人がいるようになるとカメラマンはすなわち覗きの人のように一括りに警戒される。おまわりさんも沢山いらっしゃる。と言うわけで浅井慎平ライクな往時のような写真を撮るという試みへの意欲がすっかり失せてしまった。

 歩いて神奈川県立美術館葉山に行ってみる。リトグラフ(石板画)で有名な工房「ムルロ工房」で作られた作品を集めた展示をやっている。ピカソマティスやミロやシャガール。私はベン・シャーンの作品に魅せられる。ピカソの女性の絵は見る人を立ち尽くさせるような力がある。そんなのを見物させてもらったあとにフライヤーコーナーに行ってほかの美術館の展示案内をながめていたら、鎌倉の方の神奈川近代美術館の展示案内が「鎌倉からはじまった」という展示で、コルビジュエの弟子の坂倉準三による日本最古の近代美術館はとうとう来年の3月で閉館が決まったということを知った。
 WIKIには「1951年、神奈川県鎌倉市雪ノ下・鶴岡八幡宮境内に開館。日本最古の近代美術館である。坂倉準三設計。1999年にDOCOMOMOの日本の近代建築20選に選出されるなど、美術館自体も日本を代表する近代建築として高い評価を受けている。」とある。
「鎌倉からはじまった」展の案内には「 神奈川県立近代美術館は、1951年11月17日に日本で最初の公立近代美術館として鎌倉の鶴岡八幡宮境内に開館いたしました。敗戦まもない占領下の日本において、新たな文化の発信地として開館した近代美術館は、多くの人々の共感と支持を得てきました。1966年に新館を増築、1984年に鎌倉別館、2003年に葉山館を開設し、60年余にわたって美術館活動を続けてきましたが、2016年1月末をもって鎌倉館の展覧会活動に終止符を打つことになりました。2016年度以降は、葉山館と鎌倉別館の二館体制にて美術館活動を続けてまいります。鎌倉館の最後の年となる2015年度は、これまでの鎌倉での活動を振り返り、「鎌倉からはじまった。1951-2016」展と題して、所蔵作品を中心に三期に分けて紹介いたします」とあった。
 美術館の敷地が鎌倉八幡宮のものであり、かつ文化財に指定されているので、勝手に掘り起こしたり建て替えたりが出来ないという文化財保護法の決まりがあるらしい。しかし一方でこの鎌倉館の建物は耐震基準に問題があり、何らかの手を入れないとならない。さらに県と鎌倉八幡宮のあいだの借地契約期間の問題もあるらしい。
 八幡宮側もかたくなではなく県とともに対応を協議してきたらしく、文化財保護法に抵触しない範囲の工事で、耐震基準を満たす改装が可能なら存続の可能性もあったようだ。しかしその工事の「価格」がどうしても予算をクリアできそうにないらしいのである。これは文化財保護法で保護を義務付けられた文化財の上に、いまとなっては既に文化財相当の価値を持っている近代建築が建っていて、しかもその近代建築が耐震強化しないと使用不可能な状況にある、という難しい問題のようなのだった。詳細は不明だからネット検索で簡単に読める範囲のニュース記事によれば。
 この件は静観するしかないにせよ、この美術館では小学生のころから何度も足を運んだものだ。最近でも2013年の実験工房展や2012年のシャルロット・ペリアン展などが印象深い。1993年のメープルソープ、衝撃的。1969年のクレー展はこの美術館で海外の作家を大々的に扱う最初の機会だったのだろうか。クレーの絵にものすごく惹かれたのをよく覚えている。中学一年のときだったわけか・・・
 親しんできた美術館がなくなるのは悲しいものだ。

 南から歩いてきて森戸神社を越えると広い砂浜がひらける(上の写真)。夕方になり犬の散歩の方々の社交場のようになっている。もちろん子供を連れてきている家族連れもおおぜいいる。もうちょっと風があって、ウインドサーフィンの人が疾走しているようになっていて、陽の光がもっとずっと明瞭にオレンジ色を帯びていて、なんて写真的な構図にあれこれ言うときりがないがちょっとは二十代三十代のころの写真みたいに撮れた感じなのは上の写真だろうか。

 元町バス停から逗子駅行きのバスに乗る。京急新逗子駅で途中下車して商店街を歩き、古書ととら堂に立ち寄る。店頭の箱の中に雑誌relaxがたくさん。中から一冊、ビキニ特集号を買ってみる。帰宅してビニールの封を切ってめくるとホンマタカシの撮ったビキニの女の子の写真があり、めくると今度はヒロミックスが撮ったビキニの女の子の写真があり、めくるとまだ十七才くらいのえりかさまが登場している。
 relaxはいい雑誌だったなと思う。でもいま十年くらい前に思いをはせていい雑誌だったなと思ってめくっているということで、いまも続いていたら毎回買うわけでもないのだろう。登場している当時のサブカル的最前線の人たちがみな未来になにかを見ているようで、その未来である2015年にあなたたちはどう変わってきたのか、なにを思って生きているのか、幸せだったことはなにで不幸せはなにだったのか、そういういちいちを聞けなくてもそういういちいちを聞いたあとの具体的なことでない相対的感想のようなものの「気配」を古本の雑誌を見ていると感じるのは、それが流行を扱っている雑誌だったゆえの悲しみなのかな。時代の変化がはっきりわかる。時間が流れることが悲しみの原点てことか。
 寝不足だったこともあり、土曜の夜は早々に寝てしまう。