上野


 東京芸大美術館でフィンランドの女流画家ヘレン・シャルフベック展を見に行き、そのあとアメ横などを歩く。そのまえにDIESELギャラリーで深瀬昌久展も見た。
 深瀬昌久の自分の顔を画面の端っこに置きながら、背景・・・と言うか、後ろの主被写体を一緒に写し込んでいる「セルフポートレート+街角スナップ÷2」のようなシリーズは、いまみたいにデジカメやスマホの自分撮りのようにアングルを確認できない状況で撮影していることを考えると、これは神業のようだった。もしかしたら展示された写真を選択するために失敗した写真が山のようにあるのかもしれないが、それにしてもすごいなあ。背景の瞬間は見えていないわけだし。
 自分が水(風呂)にもぐったりしながら撮った「ブクブク」シリーズは当時発表されたカメラ雑誌を見たことがあって、そのときは「なんだこりゃ」と思ったが、展示の全体を見ていると、あるいは私が年齢を重ねたせいか、その作品もなんだか可笑し味も含めて楽しく見ることができるのだった。

1980年代に世田谷美術館アンドリュー・ワイエス筆頭に、ワイエス一族(アンドリュー・ワイエス本人とその父と息子だったかな?あるいは兄弟?)の展示を見たことがあった。90年代にBunkamuraミュージアムで、何かの企画展でやっぱりアンドリュー・ワイエスの絵を見た。
世田谷美術館のときにはワイエスの描くのは、一瞬の光景で、まるで写真が捉えたようだな、と、漠然としていてその理由は自分でもわからないが、とにかくそう感じた。
Bunkamuraではやはりワイエスの絵の前に来たときに、絵のサイズが大きくて、それだけでもう写真は絵に勝れないな、と思った。今では写真も大型プリントが比較的に簡単に出来るし、カメラも高性能になったわけなのでそう思わなくてもよくなったかもしれないが。いずれにせよ、何故だかワイエスの絵の前に立ったときだけ写真との関連を考えてしまう。
絵に描かれた写真的な決定的瞬間の場面は、実は絵だから瞬間の構成をいじれる訳で、決定的瞬間のような画面構成の、瞬間を描いた、時間をかけて構成演出した絵画、なんて言い方は失礼なのか、写真の側を主語にするとこうなると思うが。
DVD映画なんかの特典映像に、ロケハンをやってもやってもベストな場所がなかなか見つからない様子が収録されていたり、セットを組むときに、そこが例えば昭和30年代後半のお茶の間なんだとすると、時代考証やらをもとにもっともあるべき姿、即ちそつのない典型が作られていく、そういう場面も見たことがある。普通にそこらに残っている場所だと、どこかが典型から外れる。そつのない場面はロケハンではなかなか見つからない。そこでセットを組む。すると今度は予算が跳ね上がる・・・のかな?
最も美しい顔立ちは、大勢の人から、顔の大きさや輪郭や、目や鼻や口の形やらの平均値を求めてそれを組み合わせると出来上がる、そういう話を聞いたことがあるけれどそんなもんかな?もしそうだとしても、その顔からまたどこかだけを崩す、平均からずらせることで個性が生まれるのではなかろうか?そのずらしかたが愛される範囲に収まると個性がいい方向になり、人気俳優が出来上がる、、、のかしら?
多分、美人女優や二枚目男優とは別の、美人や二枚目でない脇役や助演の俳優にも、美人や二枚目ではない必要な典型、愛される範囲の脇役や助演のばらつき?ずれかた?がある。
一枚の絵を描くには写真が一瞬で撮られるのとは違う、比較的には膨大な時間を要するが、このあるべきばらつきを設定して追い込める。写真のように見えるワイエスは、そういう風に描いたのではないか?典型的な一瞬の光景を、時間をかけて追及していく、ようなこと。
と、ここまで書いてきて、ワイエスは実は写真を絵の素材として使っていたなんてことはあるまいか?と思い立った。調べよう。
・・・電車で移動中にネットで調べてみたが、ワイエスが写真を撮って絵の参考に写真を見ていたようなことはどこにも書いてなかった。そう言う方法は取ってなかったのかもしれない。
もしかしたら、写真を見て絵を描くなんてのは邪道であって、巨匠ワイエスがそんな邪道をしていた訳がないし、そんなことを調べること自体からして、岬たくはひどいやつだ、と思った人います?気を悪くさせたらごめんなさい。だけどそう言う手法はなんの問題もないし、それを邪道だと決めつける方が狭量だと思う。
こんな風にシャルフベックの絵画展に行った話からワイエスのことに移って、ずっとワイエスのことを書いてしまったが、それと言うのは、シャルフベックの特に初期の作品にはワイエスを彷彿させるところを感じたからだ。
もっともシャルフベックは1862から1946年が存命期間で、ワイエスは1917から2009年なので、シャルフベックの方がずっと早く、そのシャルフベックは会場に掲げられていた解説によれば、昨年だったか横浜美術館で展覧会が開かれたホイッスラーの影響があると言う。そこでホイッスラーを調べると、1834から1903年の人だった。だから、ワイエスとシャルフベックが何か関係があったとすると、ワイエスがシャルフベックの絵を見たことがあったかもしれない、と言うことになる。そこから何か影響を受けた可能性もなくはないが、まぁ、受けてないんじゃないかな。
シャルフベックは、晩年になり絵のモチーフが減り、と言うのもモデルが見つからなかったようで、寡作になるが、それを見かねた画廊主だったかが、若い頃の旧作のモチーフをネタに再度描いたらどうなるか?と提言したことを受けて、実際にそうした。若い頃の絵が、写真のようなリアリズムがあったとすると晩年のそれはあやふやでソフトフォーカスの写真のようだった。
よくわからないけれどその場では、そう言うもんだろうなぁ、と思ったりした。