それぞれの小石

宇都宮駅ビルの書店で表紙を表に、新聞か何かの紹介記事と共に置いてあった岸政彦著「断片的なものの社会学」を手にして、その本に使われている写真に惹かれた(写真は西本明生)こともあり、中身を吟味もせずに、と言うのは宇都宮発で東海道線まで乗り換えなく行ける電車の発車の時間が迫っていたからなのだが、その本を買った。本屋のあとにパン屋に寄ってチーズのパンとカレーパンとを買い、グリーン券をチャージしてグリーン車の進行方向を向いて左側の後方の窓側席に座った。そして、いつもの通りに本など読まずに車窓に流れては消えていく風景を次々に写真に撮ることに夢中になってしまった。そんな風だから、宇都宮駅ビルで買った「断片的なものの社会学」は一ページも読まなかった。
金曜の夜にはこうして9時前に家に着いた。寝る前にベッドに転がってその本を読もうと思ったが、ほとんど読み進めないままに眠ってしまった。
そうは言っても眠る前に読んだところに、著者の子供の頃の回想が書かれている。
『小学校に入る前ぐらいのときに奇妙な癖があって、道ばたに落ちている小石を適当に拾い上げ、そのたまたま拾われた石をいつまでもじっと眺めていた。私を惹き付けたのは、無数にある小石のひとつでしかないものが、「この小石」になる不思議な瞬間である。(中略)無数の小石のなかから無作為にひとつを選びとり、手のひらに乗せて顔を近づけ、ぐっと意識を集中して見つめていると、しだいにそのとりたてて特徴のない小石の形、色、つや、表面の模様や傷がくっきりと浮かび上がってきて、他のどの小石とも違った、世界にたったひとつの「この小石」になる瞬間が訪れる』と書かれていて、その瞬間に浮かび上がった、世界のどの小石ともこの小石は違うと言うことに陶酔していた、と続いている。
よく、でもないか、たまに、ってことでもないか・・・反戦を考えるときに犠牲になったなんの罪もない市民の一人一人が家族や恋人を持っていて、即ちそれぞれがかけがえのない、平等で格差のない、ヒトと言う個体が必ず持っている何事にも変えがたい一つ一つの人生、と言うのか、市井の日々の大事な暮らしや愛があって、それを一絡げにして、無視して、殺戮することなど何が理由であろうが許されてはならない、と考える。じゃぁ、こういう場合は?このときは?と、反論の付け入る隙はあるだろうが、でも、根本のところはそう言うことだろう。尊重と尊敬が認め合うことになり、そこから始まる愛の連鎖を、求めていた。青臭かったかもしれないが、みんなが今よりは「あるべき姿」を知っていた、ような感じがする60年代や70年代。知らないうちに大事なものを搾取されていて、平和ボケしてそれに気が付かないと取り返しがつかないことになる。
だいたいがグローバルスタンダードって言う名前の効率化がグローバル社会を平和で無駄なく運営する知恵だとすれば、どの知恵も勝てば官軍で、採用されなかった別の知恵が(案が)あったわけで、別の知恵には別の知恵なりの良いところがあるものだ。どこまでスタンダードに取り込まないで済むか、ローカルを残せてかつスタンダードに出来るか、もしもそっちを考えたら別の平和があったかもしれないしな。あ、ずいぶんと脱線。
たまたま手にした小石にも他とは違う個性・・・と言うことにも当たらないもっと単純なただの「他との違い」に気付くと言うのは、十把一絡げにしないこと、それぞれの違いを見出だして価値を認めることと似ていて、だからすごく大事なことなのかもしれない。いや、なんだかずいぶんときれいな結論めいていて胡散臭い感じもするけれども。
ところでこの文章を読んでちょっとビックリしたのは、私が二十歳の頃に、即ち青白い文学青年だった頃に書いた文章に「小石の魅力」と題したものがあったことを思い出したからだった。その「小石の魅力」には「僕」とその友人の「丘の上のピストル使い」が登場する。二人は「西海岸」のバス停でバスを待っている。空は雲っていて、姿の見えないヒバリが鳴いている。「丘の上のピストル使い」がなにか冗談をいったあとに足元にあった小石を蹴飛ばす。小石は道の向こうまで転がってタンポポの花の横で止まった。それを見ていた「僕」は小石は今新しくその場所に転がって来たと言うのに、ずっとそこにあるみたいでその場所に似合って見える、と気が付いて感心する。と、こう言う話を書いた。この文章でなにかを寓話や隠喩のようにして訴えたり主張したりしたかったわけではない。ただなんとなく書いた。それだけの文章に過ぎない。
この文章は、小石の一つ一つの違いなどではなく、小石が共通に持っている「当たり前さ」とでも言うのか、とがらず密やかでどこにでも紛れることができる万能性のようなことを書いていたことになる。
即ち十把一絡げに括って小石のことをとらえてしまっていて、岸政彦とはだいぶ姿勢が違う。
しかしよく考えると、すぐに新しい場所が似合うことにビックリしていると言うことは、すでに小石の一つ一つに違いがあることを知っていて、前提にしているからかもしれない。なんて、二十歳の頃の自分を擁護しているだけかな。
ちなみに「西海岸」と言うバス停は私の実家の近くに本当にある。それから、友人のJ君は大学のときにライフル部だか射撃部だかに属していて、かつ彼の家はI市の小高い丘の上にあり、いつも大勢の友達が集まってワイワイと楽しむ社交場のような位置付けになっていた。そこで「丘の上のピストル使い」何て言うのを登場人物に仕立てたのだ。でも創作文章に登場する「丘の上のピストル使い」の人柄はJ君ではなくてむしろK君を意識した。
さて、18日の土曜になってのこと、ニセアカシア同人の林さんと松本さんと代々木八幡の店でコーヒーを飲んだりトマトとライムのピッツァと言うのを食べながら、写真が気に入ってこの本を買ったんだと「断片的なものの社会学」を見せたところ。写真の西本明生は、須田一政写真塾大阪(大阪須田塾)の西本さんその人ではないか、と言う話になった。そうだとすると私は「須田塾的な」写真に惹かれる呪縛に囚われているのか?しかしそんな「須田塾的な」なんてものはなくていずれにせよ西本さんの写真が素晴らしいと言うことだろうな。いつもニコニコしている感じの人。西本さんの面影をちょこっと思い出した。
(この文章は18日の土曜に書き19日の日曜の朝に手直しをしました)

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学