なにもない夏


ある程度の面積があった畑地や今にしては敷地面積の大きな家が、三戸か四戸からなる、表面だけ南欧風を取り繕ったような張りぼての新分譲一戸建てとして売り出され、小さな子供が一人か二人いる家族が、いままでよりも少しだけ通勤時間が長くなるけれどなんとかこなせるだろうと言うご主人の判断のもと、より都会から少し田舎めいた市に引っ越してくる。所謂衛星都市と言うわけたが、この流れは三十年前も今も同じで、私も家族を引き連れて横浜からそのように茅ヶ崎に越してきた。それが25年前で、違うのは、当時はバブルで、戸建ての値段は跳ね上がっていて当時の三十代になったばかりの私の給料では手が届かず、なんとか買えそうなマンションはしらみつぶしに申し込んでも四つも五つもはずれ続けるものだった。
フレックスタイムや在宅勤務やその他の諸制度により、割合としてはより遠くの衛星都市からでも通える、なんか書き方が変だな、諸制度により衛星都市が一回り外に広がった、のかどうかは知らないが、こうして平塚市(東京から西へ約60キロ)の、駅からまたバスで15分くらい行ったこの写真の辺りでも、そう言う新しい住宅が増えている。その分、畑地や大きな家は減っているのだろう。ほかにチェーンのスーパーやコンビニや薬屋、ファミレス、レンタルビデオ、さらに言えばカラオケ屋や焼肉店などが増えていて、もしかしたら畑地や大きな住宅だけではなく工場も減っているのかもしれない。暮らし、高い割合で、衣食住を簡便に満たすやり方の標準をつつがなく確保できる。あるいは、娯楽のためのテレビや映画や読み物、眺めるもの味わうもの、それらに関しても標準的な供給を受け取るシステムは完備出来ている。パッケージ化された今の日本を生きていく為の簡便で確実で、標準的で誰もが簡単に適応できる、そう言う街が、ここにも在るのだった。
でも過不足の不足はないが、過ぎたるが故にある、個性とか味わいとか、そう言うのは見付けにくい。
隣の市とは言えそこに住んでいない私には、通過者にもすぐにわかる個性や味わいは見つからないが、とにもかくにも、そこにも暑く熱せられた真夏の真骨頂の空気が満ちていた。湿度が高く、以前は、と言うのは私が小学生の頃の夏には聞いたことがない35℃を越えるような日々が続く。太陽の高いこと、影が濃いこと、そう言う写真に写る被写体の違いだけではなく、撮っている私の背中や首筋を流れる汗のことなども写真につながる道筋、そこにいて視角や他の五感が入手した情報から、そこを撮ろうと決まるための背景には必ずその道筋に影響をしている夏。
前述した個性や味わいがわかりやすくあることが観光地の条件なのだとすれば、ここは観光地の条件を何も持っていないし、観光地に媚びてもないし、その条件を欲してもないし身にまとおうともしていない。
だけれどもこの熱せられた真夏の真骨頂の空気が満たしていると言うこと自体が、そんなことを越えて、今の時間、季節という言葉ではなく、刻々過ぎ行く時間そのものだろう。
だからこの何もない、何も観光的な素養のない、ブスな町でも、夏は敢然とある。逃げ場がない分真夏を感じた。