12日のことと、コーヒーと読書とチキンカツと読書



安曇野では、一度行ってみたかった田淵行男記念館にも行った。他に客がいなかった。ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」に「タオル」と言う掌編があったのを思い出した。
アメリカを釣りをしながら(なのかどうかもはっきりしないが)放浪中の「私」は森のなかで小さな記念館に行き当たる。ドアにタオルが掛かっていて、写真が展示されている。写真には「素晴らしい寄り添い型の」女性と並んだら森林警備員が、その写真が撮られた時代にふさわしい堂々としたポーズで写っている、のだったかな、詳細はよく覚えてないが、二ページか三ページしかない短い話だった。
やがて冬が来ると雪が森を覆いひっそりとした世界になる。雪は森も、記念館も、タオルも、写真も、すべてを静かに包む。そんな感じの掌編。いや、こんな雪のことが書いてあったのかもあやふやだ。単なる私の印象なのかもしれない。

ウィキペディアによると田淵行男
『田淵 行男(たぶち ゆきお、1905年6月4日 - 1989年5月30日)は、山岳写真家。高山蝶研究家。代表作に、「高山蝶」,「わが山旅」、「ヒメギフチョウ」、「山の時刻」、「山の紋章雪形」、「安曇野の蝶」、「山のアルバム」、「黄色いテント」などがある。』
館内には田淵の使っていた一人用テントなどの登山道具やカメラが展示されているほか、壁に掛けられた写真作品は定期的に入れ替わるのかな?展示の特集は「山と蝶」で、蝶は写真ではなくて細密な絵だった。

田淵行男の山の写真が、山に登る訳でもなく、山岳写真が特別好きな訳でもなく、普段はストリートスナップばかりしている私なのになぜに惹かれるのか?
例えばジャズばかりCDを1000枚持っていて、音楽と言えばジャズを聴いている、と言うひとのCDラックに一枚だけクラシックのオーケストラによる交響曲のCDがあり、特別と言うよりも特別ではないのにごくまれに、いや、だからそれが特別なんだってことか、少なくとも「対外的」にわかりやすい特別なハレの日やケの日や、なにかが無事に終わった節目の日や、これから始める決起の日や、そう言う日ではないけど自分もわからないなにかの尺度からは特別なのかもしれない、そう言うのか「ふと思い立って」や「気紛れに」と表現されるのかもしれないが、とにもかくにもごくまれにその一枚のクラシックのCDをかけることがあり、それは勿論とても大事な一枚になっている。
と、こう言うたとえばなしを設定すると、そのクラシックの一枚のようなのが田淵行男にあたる。で、いいのかな?ま、そんな風かな。
中版フイルムのモノクロでしっかりと写された山の写真。そもそも山登りなんか体力的にも出来ないし挑戦する気概も好奇心も興味も何もない私だから、写真を見ても、この山に自分も登りたい、この目でこの風景を眺めたい、と言った経路の思考と言うか希望は全く発生しない。

アンセル・アダムスの「ヘルナンデスの月の出」と言う有名な写真を、あれは会社の出張のついでとかだったのか、例えば金曜日に松山で会議があって一泊して土曜日、飛行機に乗るまでの時間に美術館に寄ったとか?どこか四国の美術館で見たことがあった。
いま調べたら1999年の6月から7月にかけて、愛媛県立美術館でアンセルアダムス展が開かれている。多分それ。
1999年頃には手書きでマメに日記を書いていたから、探しだして読めばアンセル・アダムス展でどういう感想を持ったのかが書き残されているかもしれない。
その日のリアルタイムの感想がどうだったのかはわからないが「ヘルナンデスの月の出」を見て、そこに三脚を立てて大型カメラを乗せて、風に吹かれていて、回りからは虫の声が聞こえてきて、たった一人で、だけど向こうには人の暮らす灯りが洩れる家々がありそれは少しの安心で、もうすぐ月が登るのをそう言う風に待っている写真家がいたこと。そこに、この写真に写されたような風景が目の前に現れて、息を止めて写真家はシャッターを切る。その数秒の露光時間は、子供の遊びのように何年何月何日何時何分何秒?言ってみて!と問われるとすでに流れ去った過去の時間に呑み込まれてわからないが、ただその露光の数秒のあいだも流れていた時間があって、その日のその同じ瞬間に何億と言う人が息をしていて、あるいは誰にも見られないところでも風景が展開をしていた。そんなことが思い浮かんだと覚えている。
田淵行男の写真を前にするとそこに写っていない写真家がこの風景を前にカメラをセットしている、アンセル・アダムスの写真を見たときと同じような仮想の状況が目に浮かぶ。
もしかしたら、アダムスの写真にも田淵行男の写真にも、自然に向き合う人の稀有な真摯のようなことの痕跡が写っているのかな。

あるいはモノクロ写真(色がないことですでにカラー写真より忠実性が失われその分抽象性が増している、なんて決めつけるのは暴挙?)であることが、そういった感想を誘われる原因なのだろうか。
ちょうど田淵行男記念館の下の階ではカラーの山岳写真の写真展もやっていてそこには最新の高品位な機材と、勿論そこまで山を登った写真家の努力による峻厳で美しい写真が並べられている。黒マットに飾られた写真はいかにも写真であり、いやよくわからない感想だが、あー写真だなぁと思ったのだから仕方がない。田淵行男の写真の持つ力と、この下の階のカラー写真の持つ力は、同じ写真であってもそれぞれに違うところにあり違う効果を持ち、全く違う価値感に置いて成り立っている気がした。

12日は碌山美術館のあと、蕎麦を食べて、チルアウト・スタイル・コーヒーと言うカフェの窓側の揺ったりと座れるソファでくつろぎ、それから帰った。中央高速は大月から八王子までがずっと渋滞と言う情報で、Googleは大月から河口湖山中湖経由で御殿場に降りて帰ることを盛んに勧めてくる。最近のスマホの言うことだから最新の渋滞状況から正しい判断をしているのだろう。そこでその指示に従う。しかし、この富士山を越えていく有料道路は、慣れてない道で、車線も少なくて、暗くて、ハイビームを多用しながら、先のカーヴを把握して慎重に運転せねばならず、気を使うのだった。

明けて13日。午後からカメラと本と財布を持って散歩に出る。そのときの写真が上や下の写真です。
茅ヶ崎沖にシュモクザメ30匹が確認され、海水浴場は遊泳禁止となり、閑古鳥が鳴いていたそうだか、そうとは知らずに海水浴場には接近せず。下の写真はそれより東のヘッドランドの辺りの海ですが、ここは海水浴場ではなくて、主にサーファーが来る場所だ。少しは海遊びの家族連れもいるけど。そして遊泳禁止の茅ヶ崎サザンビーチ海水浴場よりはサメの見付かった烏帽子岩に近い。しかし、サメ注意なんてアナウンスは公式の海水浴場でしかアナウンスされないものなのか?他の遊泳禁止区域で何が起きても知らないよってことなのか、サーファーたちはいつものように海に入っていた。それともサメの情報は知っている上の自己判断で海に入っているのか。

お盆で休みだと思っていたらカフェピピピがやっていたのでコーヒーを飲みながらもうすぐ読み終わる長島有里枝を読み進む。閉店前最後の客となる。店を出てから駅の方へ。キッチンアオキに入り、一夜漬けキャベツと白ワイングラス。なかなか飲みきれないままチキンカツを注文。ウスターソースをたっぷりとかける。
そして本を読み終える。

背中の記憶 (講談社文庫)

背中の記憶 (講談社文庫)