写真を撮る動機

半年か一年かに一度の、部屋の大掃除をしているうちにエイヤと言う断捨離気分が高揚して、10年20年それ以上前から後生大事に持ち続けていた本をもう売るか捨てるかしてしまおうと決め、仕分けした。単行本のタワーが二つ、手提げ袋に一杯の文庫本が三つか四つ。そのうちにBOOK・OFFにでも持っていく。2000円くらいにはなるかな。古い本ばかりだからそこまで行かないかな。
仕分けして二、三日して、一つの紙袋の一番上に載っていた新井満の「尋ね人の時間」を見ていて、芥川賞で話題になっていた頃に読んだのだが直に内容を忘れてしまったまま数十年、一度も再読せず、そもそも本棚から取り出してパラパラとめくったことさえしないで、なのに何回もあった断捨離気分の本の仕分けをなぜだか潜り抜けてきて、今回は潜り抜けられなかったと言う経緯の、いやなに、ここに積まれた本の多くがそう言う本なのだが、その「尋ね人の時間」をこの期に及んでふと手にして読みはじめてみた。読んでみれば、少しは中身を思い出すかもしれないと思ったのだが、結局最初から最後まで何一つ既読感が得られないままだった。
モデルの女性がカメラマンの主人公に、なぜ写真を撮るのか?と聞く場面がある。女性は、珍しい景色に会ってそれを記録するためなのか?と聞く。主人公の男はそれにたいしてこんなことをこたえる。以下は適当に要約しなからの転載。
「むしろ逆だね。懐かしいと思うからだ。今、僕らが乗ったこの車か宇宙船だとしようか。ハンドルが故障して、どこかの天体に漂着したとする。船外に出たら地球ととてもよく似た風景が広がっていた。そのときに君はどう感じる?」
女性が、懐かしいと思うだろう、と答えると、男は
「シャッターを押すのはそう言うときさ」と言う。そして、
「しかしその天体は似ているが本物の地球ではない。いつまでも居つづけるわけにはゆかない。故障が直れば出発するだろう。後方の窓から眺めていると、天体は小さくなってゆく。最後に宇宙の闇の中にふっと消えてしまう。もう二度とその天体に会うことはないだろう。写真で見る以外はね」
本はまた紙袋に戻り、BOOK・OFFに売ることになるが、そして古い本だし多分値は付かないんじゃないかなと思うが、なんかここだけこうしてこのブログに覚え書きのように書いておこうと思った。ひとつ前のホテルオークラのことをこのブログに書いたなかに、何でなくなると決まったブルートレインや建物を撮るのか?について書いてみたが、この小説で主人公のカメラマンか話していることも概ね同じかもしれない。
一方で小説の主人公のカメラマンが否定した、特別な風景を記録したい、と言う動機も当然あって、これも写真の本質だと思う。

上の写真は宇都宮線の車窓から。本当は青い倉庫のような建物を撮りたかったのだがタイミングを逸してしまった。あとから写真を見たらパラソルと犬が写っていて、撮ったときには気が付かなかったこともあり面白くて載せました。