大磯 八王子 新宿


 朝、外出する家族の女性陣を駅まで送ったあとに、そのまま自家用車を運転して神奈川県平塚市から大磯町に入ったところから始まる丘陵地帯のてっぺんにある通称「湘南平」(海抜181m)と呼ばれる、平塚市から茅ヶ崎や鎌倉の街と、円弧上に広がる相模湾が見渡せる場所へ立ち寄ってみた。こんな行動をするのも9月という季節に後押しされているのだろうか。夏が終わり、台風が通り過ぎ、久々に晴れた、まだ暑い9月。ツクツクボウシが盛んに鳴いている9月。竹内まりやの歌の主人公は9月に辛子色のシャツを着た男の子を追いかけた・・・あ、関係ないか。
 そういう景色を見渡しているうちに、上の写真に写した、丘陵の森の中に住宅が集まっているところに目が行った。たぶんそこに暮らしている人が特別ってことはなくて、普通に通勤したり(山道を登ったり下りたりは大変だろうが)学校に通ったりしているのだろう。それでもなんか特別なんじゃないか、この一塊の住宅地の人たちだけのほかには言えない秘密があるのではないか?と思ってしまう。(この思ってしまったところから、良く言う「着想を得て」、ホラーっぽい話とかファンタジーとかが生まれてしまうのが作家という人種なのかもしれない)
 この写真とは違う北側を見ると、一本の直線になった真っ白な東海道新幹線が走っていくのがよく見える。走ってくると、子供のように「あっ!新幹線だ!」と心の中で言ってしまう。



 DMをいただき、元須田塾の三木さんのコラージュ展に行っく。展示タイトルにもなっている「時の舟」という作品がとくに気になった。コラージュの素材に古いモノクロ写真のきれっぱしが使われている。写真が撮った人やかかわった人から見られなくなったあとに、時間を吸収して、撮った人やかかわった人とは全く違う同時代の普遍的な視点にさらされたときに新たな見せ方を示してくる。それを慎重に掬い取っている。同じような空や同じような雲や同じような風が、ずっとずっと昔にもあった、ということが「時の舟」に乗って、その当たり前のことが知らされる。
http://www2.tamabi.ac.jp/cgi-bin/alt/xevent/?p=15053



 新宿に移動してコニカミノルタプラザで山下恒夫さんの写真展「続 島想い」を見て、ご本人と少し立ち話をする。途中にはさまる短い文章が鑑賞の妨げにならない程度に道案内をしてくれる。鳩間島の自然と寄り添った暮らしは、ほんの数十年前までは日本のどこにでもあったのだろう。それを珍しがるよりも、その方がふつうで、いまのふつうは異常だって感じもする。山下さんの撮る人物写真は、知り合ったばかりで緊張感100%の状態と、うちとけて緊張感0%の状態があるとすると・・・ってこんな比喩もデジタル的で上手くないのは判っていますが・・・家族や恋人にだって緊張関係は10%くらいは残っているとして、40%くらい残っている感じがする。本当は30%まで行けるのに、そこの10%をあえて踏み込まずに、他者としているべき佇まいを残したスタンスを保っている。もう土足ではないからどうぞ上がってきてください、と言うのを遠慮していて、その遠慮がまた好感されている。10%に残っている微妙な羞恥心のようなのが笑顔の裏に残っているのが良くて、何度も見てしまう。最近は至近距離がよく見えないので眼鏡を外して接近して見極める。犬や洗濯物が写っている民家の庭もどこを注視するという誘いがなくて、まんべんなく見渡せる写真だった。もう少し大型プリントで見たいと思うが、そう思わせるサイズにとどめているのも彼のやり方なのだろう、と思った。ずっと沖縄の離島に通い続けている長年にわたる姿勢も、功をあせらない、たとえば祭りの日だけを掬い取って報道するようなこととまったく違う姿勢も山下さんらしさだと思った。
http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2015september/gallery_c_150908.html

 そのあとギャラリーPlaceMで須田一政写真展「浅草」とこれに合わせて行われた須田一政×萩原朔美×瀬戸正人トークショーを聞く。70年代の天井桟敷をはじめとする演劇を中心とした話から、70年代の表現の「空気」「自由さ」がどうであったかを懐古して話が進んだ。後日、もうちょっと詳しく書くかもしれません。
http://www.placem.com/schedule/2015/20150907/150907.html