流れる雲


 写真は昨日に引き続き、11日日曜日の野辺山高原の夜空です。
 10日のブログに入江宏のCDのことを書いた。CDのソロピアノを収めた1枚目の収録曲のなかに、ジャコ・パストリアス作曲の「スリー・ビューズ・オブ・ア・シークレット」という曲がある。夜、このCDを流しながら、本を読んだり、コンビニ弁当を食べたり、雑誌PENのアラーキー特集を眺めたり、スマホで必ず調べる必要もないのになんとなくだらだらとふと気になったことの検索を続けてしまう状態に陥ったりしているときにこの曲になると、そういうやっていることを瞬間だけど停止してからしばらく耳を傾けるようになる。いいメロディだと思う。
 この曲のメロディは「いつのまにか」知っていた。たとえば、辛島文雄とトゥーツ・シールマンズのデュオCDに入っていた。ほかにも持っているCDのいくつかで演奏されているに違いない。鬼怒無月のCDにも入っていたような気がする。マイケル・ブレッカーのにも?
 そこで上記のとおりの「検索継続状態」に陥ったなかで調べてみたら、この曲はジャコがトゥーツ・シールマンスとの共演のために作曲したらしいことや、ジャコの父親がジャコにトゥーツとの共演が出来れば最高だと言っていたらしいことなんかがいろんなところに書いてあることをぜんぶ信じれば、そういう曰くがあるようだった。
 私はジャコの演奏をライブで見たことがあったのかなかったのかよく覚えていないのだ。1979年の豪雨の田園コロシアムのライブ・アンダー・ザ・スカイは誘われたかもしれないが行かなかったのだったか、その伝説に立ち会えなかったのが残念だったのもあり、翌1980年には聴きに行っている。そのあと、なにかのライブで何回かよみうりランドイーストという屋外ライブ会場に行ったことがあって、その中の一つではサンディー&サンセッツが出ていたことを覚えている。たぶん久保田真琴夕焼け楽団の一部の曲のようなサザンロックというか泥臭い演奏をすることを期待していたのだが、サンディーを迎えてちょっと自分の好きなタイプの演奏ではなくなっていてがっかりしたから覚えているのだ。
 その同じよみうりランドで、非常にあいまいな記憶なのだが、ジミー・クリフを聴いたことがあるし、ウェザー・リポートも聴いたような気がするのだ。これらがそれぞれ単独公演だったのかフェスのようなものだったのか、場所の記憶間違いがありそうだがじゃあどこが間違っているのか、よく判らない。81年以降のライブ・アンダー・ザ・スカイのどれかに行ったのか、レゲエ・サンスプラッシュ・ジャパンに行ったことがあったのかも、わからなくなっている。ウェザー・リポートをどこかで聴いているのは確かだと思うのだが、そのときのバンドにジャコがいたのかはまるで覚えていない。80年代も真ん中あたりには、何年か続けてマウントフジ・ジャズ・フェスティバルにも行ったけど、そこで誰を聴いたのかすらよく覚えてないのだからひどいもんだ。スタンリー・タレンタインをメインステージで聴いたかすかな記憶が・・・。夜の部、どこかのホテルの中庭の芝生に座ってハービー・ハンコックのソロによるドルフィン・ダンスを聴いたことだけは鮮明に覚えている。
 そんなことが気になって、夜中に目覚めてしまった深夜に、当時のコンサートの半券を保存してあった封筒が部屋のどこかにあるのではないか?と思い出してごそごそと探したが、見当たらなかった。
 トゥーツ・シールマンスの方も1979年の来日コンサートを聴きに行った。その後は一度も聴きに行かなかった。昨年だか92だか93だかの歳になってコンサート活動終了宣言を引退したそうだ。
 スリー・ビューズ・オブ・ア・シークレットという曲名はどういう意味でどこから来ているのかな?

ランコントル

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